常陸国分尼寺跡(読み)ひたちこくぶんにじあと

日本歴史地名大系 「常陸国分尼寺跡」の解説

常陸国分尼寺跡
ひたちこくぶんにじあと

[現在地名]石岡市若松三丁目

常陸国分寺の西北約六〇〇メートルにあたる字尼寺にじはらにあり、現在は尼寺ヶ原公園となっている。国指定特別史跡。中門跡・金堂跡・講堂跡の土壇・礎石が残り、「新編常陸国誌」は「国分尼寺廃址、新治郡府中平村ニアリ、今畠トナリテ、其所ヲ尼寺ケ原ト云、土人曰ク、二十年前、方二町許ノ地ニ、大堂廻廊鐘楼食堂等ノ地歴々存在セシガ、年ヲ逐ヒ開墾シ、皆田圃トナルト、圃中往々古瓦ヲ掘出スコトアリ、二十輪ノ菊紋アリ、堅硬石ノ如シ、聖武天皇ノ時、之ヲ建、天正十八年庚寅、佐竹氏大掾氏ヲ石岡城ニ攻ムル時放火ス、寺為メニ延焼セリトイヘリ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「常陸国分尼寺跡」の解説

ひたちこくぶんにじあと【常陸国分尼寺跡】


茨城県石岡市若松にある国分尼寺の跡。一直線上に中門跡、金堂跡、講堂跡の礎石群が基壇上に残り、かつての規模が明瞭である。このことは、国分尼寺跡としては全国的に稀有な例であり、学術上の価値が高い。付近から奈良時代に属する鐙瓦(あぶみがわら)、宇瓦(のきがわら)なども発見されている。1922年(大正11)に国指定史跡となり、1952年(昭和27)に特別史跡に指定された。さらに、1969年(昭和44)、1970年(昭和45)の発掘調査によって、南大門跡など寺域を画す堀の存在が明らかになり、1972年(昭和47)に追加指定された。出土した瓦類は常陸国分寺跡出土のものと同形のものが多く、土器の中に「法華」の墨書銘のある土師器(はじき)が出土しており、国分尼寺が法華滅罪之寺であることを証明する資料となっている。JR常磐線石岡駅から徒歩約26分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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