石岡市(読み)イシオカシ

デジタル大辞泉 「石岡市」の意味・読み・例文・類語

いしおか‐し〔いしをか‐〕【石岡市】

石岡

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日本歴史地名大系 「石岡市」の解説

石岡市
いしおかし

面積:六三・三四平方キロ

県の中央部に位置し、北は園部そのべ川を隔てて東茨城郡美野里みのり町、西は筑波山系東端の竜神りゆうじん(一六三・八メートル)を隔てて新治にいはり八郷やさと町、南は同郡千代田村・出島でじま村、東は同郡玉里たまり村に接する。市の西から南部を恋瀬こいせ川が流れ、霞ヶ浦の入江に注ぐ。

市域は竜神山の東に開ける石岡・高浜たかはま台地(標高二五・六メートル)、霞ヶ浦入南岸の三村みむら関川せきかわ台地と恋瀬川沿岸の低地からなり、中心市街地は石岡・高浜台地上にある。中心市街地には、交通の大動脈水戸街道(国道六号、旧道)が南北に通り、東には市内を基点に鹿島臨海工業地帯に続く国道三五五号、西には県道柿岡かきおか―下館線、笠間街道、県道志筑しづく小幡おばた線などが放射状に走る。さらに国鉄常磐線が国道六号、鹿島鉄道が国道三五五号沿いに通る。

石岡の地名は建武五年(一三三八)八月日の税所幹治軍忠状(税所文書)に「右小田・志築凶徒等、去月廿六日寄来府中石岡城之間」とみえ、「常陸大掾伝記」は「建保二年九月十九日献鎌倉より馬場資幹に命じて尽く府中の地頭を行はしむ居館を府中に構へ財務を行ふ。石岡城是なり」と記している。

〔原始・古代〕

竜神山麓から石岡・高浜台地にかけては、清水の湧出が多く、また鉄に恵まれたため早くから開け、県内では最も遺跡の多い地域に属する。主として縄文遺跡が多く、弥生時代の遺跡はきわめて少ない。石岡・高浜台地には高根たかね鹿の子かのこ東大橋原ひがしおおはしはらなど、三村・関川台地には海老坪えびつぼ地蔵平じぞうだいら北垂きたたれ富士台ふじだい別所べつしよ道場平どうじようだいらなど全部で四六遺跡を数える。高根・別所は貝塚で、北垂・富士台は貝塚と住居跡が別々に分布する。古墳は後生車ごしようぐるま染谷そめや木間塚きまづか傾城けいじよう・東大橋・要害山ようがいやま舟塚山ふなつかやま愛宕山あたごやま大塚おおつか石川いしかわなど一六の古墳群があり、ほかに単基古墳が四基ある。舟塚山古墳群の舟塚山古墳(前方後円墳)は国の史跡に指定されている。古墳時代以後の遺跡などは二二ヵ所が確認され、市内全域に分布している。なかでも鹿の子遺跡は建造物跡・長屋状竪穴住居跡などの遺跡で、大量の漆紙文書類(計帳・田籍関係文書など)が出土し、製鉄所跡なども発掘されている。

常陸国府の置かれた石岡市域は早くから大和朝廷の勢力圏に置かれていた。「常陸国風土記」冒頭には、

<資料は省略されています>

と記されている。

石岡市
いしおかし

2005年10月1日:石岡市と新治郡八郷町合併
【八郷町】茨城県:新治郡
【石岡市】茨城県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石岡市」の意味・わかりやすい解説

石岡〔市〕
いしおか

茨城県中部,霞ヶ浦の北岸に接する市。西部から北部にかけて筑波山地の山々が連なり,中央部を恋瀬川が流れる。1954年市制。同年三村,関川村を編入。2005年八郷町と合体。古代,常陸国の国府が置かれた政治の中心地。中世大掾氏が府中城を築く。近世は松平氏 2万石の領地。慶応4 (1868) 年府中藩石岡藩と改称。江戸中期より「関東の灘」といわれ,銘酒のほか,醤油も醸造される。米作,果樹や野菜の栽培が行なわれ,クリも特産する。工業化も進んでいる。国指定史跡の舟塚山古墳,佐久良東雄旧宅,国指定特別史跡の常陸国分寺跡常陸国分尼寺跡のほか,府中城跡都々逸坊扇歌の墓がある。善光寺楼門は国の重要文化財に指定。北部の吾国山付近は吾国愛宕県立自然公園に属する。1895年常磐線が開通し,駅前通りが発展した。国道6号線,355号線が通る。面積 215.53km2。人口 7万3061(2020)。

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