日本歴史地名大系 「干浜・天女浜」の解説
干浜・天女浜
ひはま・てんによはま
安永三年(一七七四)の向島西村東村栗原村沖塩浜実録帳(備後向島岩子島史)によると、塩田は浜庄屋の支配を受け、干浜新開は元禄二年、個人の築調で畝数六町九反余、高七一・〇〇三石、うち塩浜(八軒)が四町八反余で高五八・五七八石、ぬい数八九二、浜畑方の田方(水田で晩田)が一二反余で高二・三〇四石、畠方(麦・木綿・大豆・蕎麦)が一町八反余で高一〇・一二一石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報