干浜・天女浜(読み)ひはま・てんによはま

日本歴史地名大系 「干浜・天女浜」の解説

干浜・天女浜
ひはま・てんによはま

[現在地名]尾道市向東町

向島東むかいしまひがし村の北岸に築調された塩田。干浜は「肥浜」とも記す。「芸藩通志」によると、両浜はともに元禄(一六八八―一七〇四)頃より開かれ、塩浜総計二一軒、長さ六町余、幅八町余。畝数一五町六反余、高一六六・九五石、戸数四四・人口一四五、船二〇。一軒が一年に焼く塩は五斗入でおよそ三千四、五〇〇俵、尾道へ出し、春夏は北国、秋冬は近国に売った。

安永三年(一七七四)の向島西村東村栗原村沖塩浜実録帳(備後向島岩子島史)によると、塩田は浜庄屋の支配を受け、干浜新開は元禄二年、個人の築調で畝数六町九反余、高七一・〇〇三石、うち塩浜(八軒)が四町八反余で高五八・五七八石、ぬい数八九二、浜畑方の田方(水田で晩田)が一二反余で高二・三〇四石、畠方(麦・木綿・大豆・蕎麦)が一町八反余で高一〇・一二一石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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