朝日日本歴史人物事典 「平内応勝」の解説
平内応勝
生年:寛永9(1632)
江戸前期の大工。平内正信の子。幕府作事方大棟梁を務めた平内家2代目。正勝とも記し,大隅守を称す。慶安2(1649)年日光大猶院霊廟,天和1(1681)年上野厳有院霊廟の大棟梁。応勝の後半生は,幕府の作事が新築から維持修理へと転換される時代に当たった。平内家が属した作事方は新築工事を担当したが,一方,小修理を担当する小普請方があり,寛文期(1661~73)を境にして両者の工事数が逆転して,小普請方が作事方を凌駕した。平内家は作事方大棟梁の職を幕末まで継承するが,応勝は大棟梁が華々しく活躍する時代の最後を飾った。<参考文献>伊藤要太郎『匠明五巻考』,伊藤要太郎校訂『匠明』
(谷直樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報