平内政信(読み)へいのうちまさのぶ

改訂新版 世界大百科事典 「平内政信」の意味・わかりやすい解説

平内政信 (へいのうちまさのぶ)
生没年:?-1645(正保2)

江戸幕府作事方の大棟梁を務めた大工。平内氏は紀州出身で,政信の祖父為吉と父吉政とは豊臣家に仕えた。政信は徳川家に仕え,以後平内家は代々幕府大棟梁の職を務めた。同家の系図が政信から始まっているのは,最初の2代が豊臣家に仕えたことをはばかったためであろう。父吉政とともに木割書《匠明(しようめい)》を書きあげ,これによると,政信の作品として武州府中六所大明神と紀州和歌浦神社が挙げられている。後者は和歌浦天満宮(1606)と呼ばれて現存し,このほか台徳院霊廟(1632)もあったが第2次大戦で焼失した。同じ大棟梁を務めた甲良(こうら)家の木割を建仁寺流と呼ぶのに対し,平内家の木割は四天王寺流と呼ばれている。
大工
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平内政信」の意味・わかりやすい解説

平内政信
へいのうちまさのぶ
(1583―1645)

江戸初期の大工棟梁(とうりょう)。紀州(和歌山県)の出身。父吉政を始祖とする大工の家系で、父は豊臣(とよとみ)家に仕え、方広寺大仏殿、聚楽第(じゅらくだい)などの造営に携わる。政信は江戸幕府に仕え、1632年(寛永9)に幕府作事方大棟梁となる。その著『匠明(しょうめい)』五巻は木割(きわり)の秘伝書として著名。彼の手がけた建築のうち、和歌山市和歌浦の天満神社本殿(1606)、日光輪王寺常行堂(1619)、川越(かわごえ)喜多院多宝塔(1638)、日光石造宝塔(1642)などが現存する。

[天田起雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平内政信」の解説

平内政信 へいのうち-まさのぶ

1583-1645 江戸時代前期の大工。
天正(てんしょう)11年生まれ。江戸幕府につかえ,寛永9年作事方の大棟梁(とうりょう)となり,以後代々その職をつとめた。父吉政とともにあらわした「匠明(しょうめい)」は木割(きわり)の秘伝書として知られる。建築を手がけた和歌浦天満神社,日光輪王寺常行堂などが現存。正保(しょうほ)2年死去。63歳。紀伊(きい)那賀郡(和歌山県)出身。名は正信ともかく。

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