江戸初期に日光東照宮造営などで活躍した大工。近江国犬上郡甲良庄法養寺村に生まれた。幼名は小左衛門。《甲良家由緒書》によると近衛家の門の造営の功により従六位左衛門尉を,吉田神社造営の功により豊後守を許されたというが,この京都時代については他に資料がなく裏付けることができない。1632年(寛永9)から江戸幕府作事方大棟梁を勤める。確認しうる最初の仕事は台徳院霊廟(1632)で,以後,日光東照宮(1636),寛永寺五重塔(1639)など多くの作品を手がけた。代表作の日光東照宮は,色彩と彫刻を豊富に用い,以後の神社建築の意匠に大きな影響を与え,建築史上にひとつの画期をなすもので,建築家的な力量を十分に示している。江戸時代を通じて甲良家は幕府作事方大棟梁を世襲した。
執筆者:西 和夫
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(西和夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸初期の工匠。近江(おうみ)国甲良庄(しょう)出身。幼名小左衛門。建仁寺(けんにんじ)流を称し、禅宗様建築を得意とする。伏見(ふしみ)城、近衛(このえ)家門、吉田神社などの造営に参画、豊後守(ぶんごのかみ)の称を許されたので、甲良豊後の呼称でも知られる。1604年(慶長9)江戸に上り、徳川家康・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)に重用され、幕府作事方大棟梁(だいとうりょう)を勤める。芝増上寺三門、鎌倉鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)、増上寺台徳院霊廟(れいびょう)、日光東照宮、寛永寺(かんえいじ)五重塔などの造営にあたる。隠居後は道賢を号し、故郷で病没した。
[天田起雄]
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