幸原村(読み)こうばらむら

日本歴史地名大系 「幸原村」の解説

幸原村
こうばらむら

[現在地名]三島市幸原町一―二丁目・末広町すえひろちよう

富士溶岩流の末端に近い台地上に位置し、南は三島町、西は駿河国駿東すんとう中土狩なかとがり(現長泉町)。北の徳倉とくら村とはもと一村だったという。同村との境を箱根はこね山西麓の山中を源流とする狩野かの川の支流大場だいば川が流れる。さかい川ともよばれ、上流地域では駿河と伊豆を分つ国境の河川だった。幸原は「国府原」とも記された(明暦四年「棟札銘」耳石神社蔵)。慶長九年(一六〇四)一〇月一八日の井出正次神領打渡手形(矢田部文書)に「幸原之村」とみえ一〇一石余が三嶋明神(三嶋大社)領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む