牛込(読み)ウシゴメ

デジタル大辞泉 「牛込」の意味・読み・例文・類語

うしごめ【牛込】

東京都新宿区東部の地区。住宅地。台地にあり、坂が多い。昔牛の放牧場があったところからの名といわれる。もと東京市の区名。

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精選版 日本国語大辞典 「牛込」の意味・読み・例文・類語

うしごめ【牛込】

[一] 東京都新宿区の北東部の旧地名。明治一一年(一八七八)旧牛込村市谷村が合併し、牛込区が成立。昭和二二年(一九四七)新宿区に併合。
[二] 東京都新宿区神楽坂付近一帯の旧称。昔、牛を飼う牧場があり、それが地名の起こりという。

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日本歴史地名大系 「牛込」の解説

牛込
うしごめ

武蔵野(山の手)台地の東端で、多くの谷に刻まれた牛込台とその周辺の地域をいう。近世には現新宿区の北東部一帯をさしたが、中世にはこれより広い地域をさしたと思われる。中世には荏原えばら郡に属し、牛込郷として推移。北はひら(江戸川・神田川)を挟んで豊島郡小日向こびなた郷、東は長延寺ちようえんじ(近世の江戸城外堀)を挟んで同郡江戸郷に接し、西は多東たとう中野なかの郷に接したものと推定される。戦国期に富塚(戸塚)まで「牛込之内」とされているので(天正一一年六月五日「北条家朱印状写」牛込文書)、現在の新宿区の東半分を占める広い地域を牛込といっていたらしく、牛込には江戸氏一族が本拠を有していた。暦応三年(一三四〇)江戸近江権守が、「荏原郡牛込郷」の闕所地を騎西きさい芋茎いもぐき(現埼玉県騎西町)の替として武蔵守護代の高師冬より安堵されている(同年八月二三日「高師冬奉書」牛込文書)。この江戸氏は鎌倉府の奉公衆として活動したらしく、室町中期の武蔵国旦那書立写(熊野那智大社文書)には「牛米 てんきう」と記載される。文安六年(一四四九)には江戸憲重が桜田さくらだ、牛込郷の知行分各五貫文を江戸重方に譲与している(同年五月一五日「江戸憲重譲状」牛込文書)

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改訂新版 世界大百科事典 「牛込」の意味・わかりやすい解説

牛込 (うしごめ)

東京都新宿区東部の地名。谷の多い武蔵野(山手)台地からなる。古くより牛込の地域名が早稲田から戸山原方面にかけてあったが,1878年の東京市15区制により,神楽坂市谷地区などを含む牛込区が設置された。1947年,四谷,淀橋両区と合体し,現在の新宿区の一部となったが,のち住居表示の変更によって行政名からは姿を消し,今では,この旧牛込区の範囲を指すことが多い。明治以後,住宅地として発展し,夏目漱石坪内逍遥,永井荷風,泉鏡花,北原白秋らが牛込台に住んだこともあった。現在,出版・印刷会社の多い地区として知られる。
執筆者:

近世には江戸城北西地域の称で東は江戸城外堀,南は市谷,西は大久保,北は小日向小石川に続く。古代の牛の牧にちなむ名といわれるが,地名の初出は1340年(興国1・暦応3)の足利義詮御教書である。江戸初期の牛込村村高は471石余であるが,1628年(寛永5)に賜与された小浜藩酒井家の広大な下屋敷(現,矢来町のうち),根来(ねごろ)百人衆組(根来組)屋敷などの武家地として開かれた。また寛永期(1624-44)までの江戸城拡張工事により当地域内に移転した多くの寺社を含めて神楽坂を上りつめた酒井屋敷近くに寺町が形成され,その間を縫うように町屋が発達した。1826-27年(文政9-10)の資料によれば当地域の全73町のうち,光照寺安養寺竜門寺など寺社門前町屋が45町を占め,次いで御簞笥町・御細工町などの武家拝領町屋15町,肴町・袋町・改代町など代官・町奉行の両支配を受ける町並地10町があった。また全町総家数約3600軒(地主・家持444,地守・家守376,地借236,店借2600)であった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「牛込」の意味・わかりやすい解説

牛込
うしごめ

東京都新宿区北部の地区。1878年(明治11)牛込区が成立したが、1947年(昭和22)四谷(よつや)区、淀橋(よどばし)区と合併し新宿区となったため、行政上の地名は消失した。その範囲は東は市谷(いちがや)、神楽坂(かぐらざか)から西は早稲田(わせだ)、大久保に及んでいた。山手(やまのて)台地の一部の牛込台にあり、坂が多い。昔このあたりに武蔵野(むさしの)の牧場があり、多くの牛を飼育したことが地名の由来という。中世、牛込氏(群馬県大胡(おおご)氏の子孫)が居住したが、その城跡は袋(ふくろ)町の光照(こうしょう)寺域という。住宅地であるが、飲食店などの商業や出版印刷業も多く、早稲田大学東京女子医科大学、国立国際医療研究センターなどがある。現在も通称地名となっており、小・中学校、郵便局、警察署、交差点、道路などの名称に「牛込」を冠したものが多い。東京地下鉄東西線が通る。2000年(平成12)都営地下鉄大江戸線が開通、牛込神楽坂、牛込柳町の2駅ができた。

[沢田 清]


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百科事典マイペディア 「牛込」の意味・わかりやすい解説

牛込【うしごめ】

東京都新宿区の北東部,旧牛込区地域。谷と坂が多く,神楽(かぐら)坂商店街として有名。台地上は大名・旗本屋敷跡で,現在は住宅地。谷底には商店街や印刷工場が集中する。早稲田大学,東京女子医科大学,防衛省,筑土(つくど)八幡などがある。
→関連項目元禄の大火新宿[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牛込」の意味・わかりやすい解説

牛込
うしごめ

東京都新宿区東部の旧区名。現在の市谷,神楽坂,早稲田,新小川町,東五軒町,大久保,百人町などを含む範囲。台地に住宅地,谷沿いに商店街が発達。地名の由来は,牧場があり,ウシの飼育が行われたことによる。出版社・印刷会社が多い。地下鉄神楽坂駅から JR飯田橋駅にいたる神楽坂は明治以来の繁華街

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