三嶋大社(読み)ミシマタイシャ

デジタル大辞泉 「三嶋大社」の意味・読み・例文・類語

みしま‐たいしゃ【三嶋大社】

静岡県三島市にある神社。旧官幣大社。主祭神は大山祇神おおやまつみのかみ事代主命ことしろぬしのみこと伊豆国一の宮三島神社

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日本歴史地名大系 「三嶋大社」の解説

三嶋大社
みしまたいしや

[現在地名]三島市大宮町二丁目

旧東海道(県道沼津―三島線)に南面して鎮座。祭神は大山祇神・事代主神の二神。旧官幣大社。古代は式内社、中世は伊豆国一宮として武士の崇敬を受け、近世は三島町の発展とともに庶民の信仰を集めた。本地仏は薬師仏(「新千載集」「北条記」など)であった。

〔古代〕

伊豆国三嶋神主家系図(筑波大学附属図書館蔵)によれば、大化五年(六四九)賀茂かも郡沖の海底火山の噴火によりおき(現三宅島か)が出現し、興島大明神が住着いたといい、慶雲元年(七〇四)には伊豆おお島が噴火したため、伊豆国守矢田部宿禰金築が三嶋宮惣神主職を承り、興島から大島に同宮を移し、さらに天平七年(七三五)神告により府中ふちゆうに移したという。また「三嶋大明神縁起」によれば、三嶋神は后の伊古奈比神とともに伊豆三宅みやけ島にあったが、推古天皇二年下田の白浜しらはま(古代は賀茂郡)へ飛来したという。はっきりしたことは不明であるが、後述するように一〇世紀初頭にはまだ賀茂郡に所在しているので、平安中期以降に田方たがた郡に移ったと考えられる。天平宝字二年(七五八)一〇月二日三嶋神に封戸九戸が、さらに一二月には四戸が授けられた(大同元年「牒」新抄格勅符抄)。天長九年(八三二)五月二二日三嶋神と伊古奈比神が名神に列せられた(釈日本紀)。「続日本後紀」承和七年(八四〇)九月二三日条に引用する伊豆国解に神津こうづ島にいる阿波神は三嶋大社の本后であるとみえ、この頃までに大社に列せられていた。嘉祥三年(八五〇)一〇月七日三嶋神が従五位上に叙せられ、仁寿二年(八五二)一二月一五日に「従四位ママ下」、斉衡元年(八五四)六月二六日には従四位下(以上「文徳実録」など)、貞観元年(八五九)一月二七日には従四位上(三代実録)、同六年二月五日正四位下(同書)、同一〇年七月二七日には従三位に昇叙されている(類聚国史)

「延喜式」主税寮によれば三嶋神料として二千束が下されており、同神名帳によれば「伊豆三しまの神社」は賀茂郡に所在する名神大社で、月次祭・新嘗祭に際しては朝廷から幣帛が奉献されることになっていた。なお「伊豆国神階帳」には正一位三嶋大明神とみえ、「大日本国一宮記」には三嶋大明神は伊豆国一宮で賀茂郡に所在し、祭神は大山祇命とある。寛仁元年(一〇一七)一〇月二日大祓が行われて当社など四八社に奉幣があり、金銅の鈴を入れた紫綾蓋などが寄進された(左経記)。康和五年(一一〇三)一一月伊豆宿禰国盛が三嶋宮司に補任され(「伊豆国司庁宣」矢田部文書)、嘉承三年(一一〇八)一月二五日国盛が三嶋大社司職に補任されたというが(「伊豆国司庁宣」同文書)、この二通の文書は検討の余地がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「三嶋大社」の意味・わかりやすい解説

三嶋大社 (みしまたいしゃ)

静岡県三島市大宮町に鎮座。事代主(ことしろぬし)神,大山祇(おおやまつみ)神をまつる。創建年代不詳。《延喜式》には賀茂郡に鎮座とあり,もと伊古奈比咩命神社(下田市白浜に鎮座)の近くに鎮座していたのを,古代中期より末期の間に,当時の伊豆国府に近い現在地に遷座したものとみられる。古くより当地方第一の社として崇敬され,神階は850年(嘉祥3)従五位上よりしだいに進み,868年(貞観10)従三位となり,延喜の制で名神大社,祈年・月次・新嘗祭の官幣をうけ,のち伊豆国一宮とされた。源頼朝は1180年(治承4)8月17日,当社祭礼の日にまず奉幣祈願し,その夜平家追討のため挙兵した。のち,幕府を開くと鶴岡八幡宮に分祀し,伊豆山・箱根両権現とともにことに崇敬された。部将たちも崇敬,神領を寄せた。江戸幕府も朱印領530石を寄せ,また三島が宿場町として発展するにつれ広く信仰された。旧官幣大社。例祭8月15~17日のほか,田祭(1月7日),奉射祭(1月17日)などの特殊神事があり,また北条政子奉納梅蒔絵手箱(国宝),上杉管領奉納兵庫鎖宗忠銘太刀(重要文化財)ほか,宝物や古文書類を多く所蔵。現社殿は安政の大地震のあと,神主矢田部氏が幕府また諸国よりの寄付を得て明治初年完成させたもの。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三嶋大社」の意味・わかりやすい解説

三嶋大社
みしまたいしゃ

静岡県三島市大宮町に鎮座。当地は東海道三島宿の中心であるとともに、古くは伊豆国の国府の所在地であり、現在も伊豆半島方面への入口となる交通の要衝である。『延喜式(えんぎしき)』神名帳では伊豆国賀茂(かも)郡四十六座の筆頭に「伊豆三島神社」がみえ、当時は伊豆白浜の地に妃神とされる伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社と並んで鎮座していたものが、のちに伊豆国の国府であった現在地に勧請(かんじょう)され、国司の祭祀(さいし)するところとなったのであろう。850年(嘉祥3)従(じゅ)五位上、859年(貞観1)従四位上、864年正四位下、868年従三位(さんみ)の神階が授けられている。また源頼朝(よりとも)は挙兵にあたってことに神威を仰いだことから、鎌倉に開府ののちにも社領を寄せ、伊豆箱根二所権現(にしょごんげん)とともに特遇した。祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)、事代主(ことしろぬし)神ほか三座。例祭は8月16日で、頼朝公旗上げ行列などの催しがある。1月7日の特殊神事田祭りは静岡県無形文化財。国宝北条政子(まさこ)奉納梅蒔絵(うめまきえ)手箱、『日本書紀』古写本(三島本)、宗忠(むねただ)銘太刀(たち)(国重要文化財)のほか多数の古文書、刀剣等を社宝として蔵する。社家の矢田部氏の祖は伊豆国造(くにのみやつこ)矢田部宿禰(やたべのすくね)とされ、伊予国(香川県)大三島(おおみしま)の大山祇神社社家の越智(おち)宿禰と同じく物部(もののべ)氏系であることなど両社の由縁がうかがわれる。

[佐野和史]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三嶋大社」の意味・わかりやすい解説

三嶋大社
みしまたいしゃ

静岡県三島市にある旧官幣大社。祭神はコトシロヌシノカミ,オオヤマツミノカミ。東海道の要所に位置することから,街道筋の名社として,また関東の大社として崇敬を集めた。『延喜式』には賀茂郡の官社として記録されており,現在地はもと国府の所在地であったために,総社として勧請され,賀茂郡における三島神の新宮として祀られたものから発展したと推測されている。奈良時代から朝廷に知られ,位階を進められ,延喜の制によれば,名神大社に列せられ,祈年,月次,新嘗の官幣にあずかり,祭料として稲二千束を得ていた。一宮としてあがめられ,源頼朝が戦勝を祈願し成功してからはますます崇敬を集め,鎌倉の鶴岡八幡宮に分社が勧請され,伊豆山,箱根権現とともに幕府の宗祀として優遇された。江戸時代には朱印領五百石,神主家は谷田部家と称する。幕末,明治にかけて大規模な社殿の造営が行われた。社宝の『梅蒔絵手箱』は国宝。ほかに重要文化財の短刀,太刀,脇差などを所蔵する。

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デジタル大辞泉プラス 「三嶋大社」の解説

三嶋大社

静岡県三島市にある神社。延喜式内社。祭神は三嶋大明神(大山祇神(おおやまつみのかみ)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ))。伊豆国一之宮。源頼朝の戦勝祈願の社として知られる。国宝「梅蒔絵手箱」を所蔵。

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世界大百科事典(旧版)内の三嶋大社の言及

【伊豆国】より


【古代】
 東海道に属する下国(《延喜式》)。田方,那賀(仲とも),賀茂の3郡からなり,国府は田方郡に置かれ,三島市の三嶋大社付近にあったといわれている。《国造本紀》の伊豆国造条には,〈神功皇后の御代,物部連(むらじ)の祖,天桙(あめのぬぼこ)命8世の孫,若建命を国造に定め賜う。…

※「三嶋大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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