幸岡村(読み)こうおかむら

日本歴史地名大系 「幸岡村」の解説

幸岡村
こうおかむら

[現在地名]矢板市幸岡

たてかわ村の北、みや川右岸に位置し、日光北街道・会津中街道が抜ける。「下野国誌」所収塩谷系図の親時の項に「号幸賀、塩谷郡幸賀ノ住人、又作幸岡」とある。親時は幸賀に住して幸賀を名乗ったが、同地は幸岡とも記したという。応永三〇年(一四二三)塩谷氏は関東公方足利持氏の専制化の過程で対立していた宇都宮持綱を討つが、その場所は「喜連川判鑑」では甲州とあるが、「宇都宮興廃記」では「幸賀ノ郷」、「下野国誌」では「幸岡原」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む