甲州(読み)コウシュウ

デジタル大辞泉 「甲州」の意味・読み・例文・類語

こうしゅう〔カフシウ〕【甲州】

山梨県北東部にある市。大菩薩峠をかかえる山岳地帯から南西甲府盆地が広がる。ブドウワイン生産が盛ん。平成17年(2005)11月塩山えんざん市・勝沼町大和やまと村が合併して成立。人口3.4万(2010)。
甲斐かい国の異称

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精選版 日本国語大辞典 「甲州」の意味・読み・例文・類語

こう‐しゅうカフシウ【甲州】

  1. [ 1 ] 甲斐(かい)国(山梨県)の別称。〔黒本本節用集(室町)〕
    1. [初出の実例]「甲州(カウシウ)出の侍(さふらい)程ありて、甘利用内は誠の侍形気(かたぎ)」(出典:談義本・教訓雑長持(1752)五)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. こうしゅうきん(甲州金)」の略。
      1. [初出の実例]「甲州のかしかり丸くすます也」(出典:雑俳・柳多留‐四一(1808))
    2. こうしゅうタバコ(甲州煙草)」の略。
      1. [初出の実例]「甲州をぱくりぱくりとしうとばば」(出典:雑俳・柳多留‐七〇(1818))

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改訂新版 世界大百科事典 「甲州」の意味・わかりやすい解説

甲州[市] (こうしゅう)

山梨県北東部の市。2005年11月塩山(えんざん)市,勝沼(かつぬま)町,大和(やまと)村が合体して成立した。人口3万3927(2010)。

甲州市中北部の旧市。甲府盆地北東部にある。1954年市制。人口2万5227(2005)。市名は市街地の北に接する塩山(しおのやま)(553m)に由来する。中心市街は重川の扇状地上にあり,古くから青梅街道の通じる交通の要路にあたっていたが,1903年中央本線の開通によって地方中心地に発展,第2次世界大戦前までは周辺の養蚕地帯の中心として繭取引市場が開かれた。戦後は南の旧勝沼町や一宮町(現,笛吹市)の影響を受けてブドウ,桃の果樹栽培が盛んとなり,農地の大半が果樹園によって占められる。工業は製材業,石材業,ブドウ酒醸造業などがあるが,農家の副業としてのころ柿製造も盛んである。大菩薩嶺,金峰(きんぷ)山,乾徳(けんとく)山,笛吹川上流の西沢渓谷などの玄関口でもあり,塩山山麓には古くから知られた鉱泉(硫化水素泉,25~42℃)がある。ほかにも向嶽寺,武田氏ゆかりの恵林(えりん)寺,高野家住宅,熊野神社,霊峰寺など重要文化財をもつ見どころが多い。

甲州市南西部の旧町。旧東山梨郡所属。人口9199(2005)。甲府盆地東端,笛吹川の支流日(につ)川や鬢櫛(びんぐし)川などの形成した扇状地上に位置する。江戸時代には甲州街道の宿駅として栄え,甲州ブドウの産地としても名高く,正徳年間(1711-16)に約15haのブドウ園があったことが知られている。現在では純果樹栽培地域となっており,耕地のほとんど全部が果樹園,うち約8割がブドウ,約2割が桃で占められている。しかし大正時代はまだ養蚕,米が主作物で,ブドウ栽培は昭和初期から本格的になり,果樹専業となったのは昭和40年代以降のことである。ブドウ酒醸造も盛んで,地元資本による中小工場のほか,近時は県外の大手資本系の工場も設けられている。1977年に中央高速道路が通じて勝沼インターチェンジが開設され,京浜地方との時間距離が短縮されたため多数の観光ブドウ園や町営のブドウの丘センターもでき,観光農業としても発展している。柏尾の大善寺本堂は国宝に指定。JR中央本線勝沼駅は93年勝沼ぶどう郷駅に改称。
執筆者:

甲斐国宿場町。地名は,武田信虎の弟信友(1535没)がこの地に館を構え,勝沼氏を称しているので,これに先行することは明らか。日川の右岸段丘上に位置し,村高は1601年(慶長6)704石,1715年(正徳5)1198石,この間甲州街道(甲州道中)の開設により宿駅となる。宿内町並みは東西12町にわたり,上町,中町,本町から成った。糸市,木市,かり敷市が2,7の日の六斎市へ発展したのは1672年(寛文12)で,甲府盆地東部の経済的中心地としての役割をにない,また特産物であるブドウ,梨の江戸への搬出は著名であった。宿内には本陣と2軒の脇本陣,問屋のほか,1843年(天保14)には旅籠屋23軒と茶店その他の商人があった。1806年(文化3)人口936人,88年には1523人を数えた。中央線の開通(1903)は従来の駅場としての利点を失わせた。
執筆者:

甲州市南東部の旧村。旧東山梨郡所属。人口1496(2005)。甲府盆地の最東端に位置し,大菩薩嶺に発し笛吹川に注ぐ日川が村の中央部を西流する。交通の難所として知られた笹子峠の西麓にあり,かつては甲州道中の宿場の鶴瀬が栄えたが,中央本線開通(1903)後は初鹿野(はじかの)駅(93年甲斐大和駅と改称)周辺が中心となった。村域のほとんどが山林で,農林業を主体としてきたが,近年は観光と結びついたブドウなどの果樹とシイタケの栽培が盛んで,国道20号線,中央自動車道を利用して訪れる客も多い。田野温泉(硫黄泉,24~27℃)や竜門峡があり,観光地として発展している。景徳院には天目山の戦で敗れ,自刃した武田勝頼の墓がある。特産として庭石になる甲州鞍馬石を産出する。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甲州」の意味・わかりやすい解説

甲州(市)
こうしゅう

山梨県北東部にある市。2005年(平成17)、塩山市(えんざんし)、東山梨郡勝沼町(かつぬまちょう)、大和村(やまとむら)が合併して成立。北は埼玉県秩父(ちちぶ)市、東は北都留(きたつる)郡丹波山(たばやま)村、小菅(こすげ)村、南東は大月(おおつき)市、南西は笛吹(ふえふき)市、西は山梨市に接する。北、東の境界に笠取(かさとり)山、大菩薩嶺(だいぼさつれい)など秩父多摩甲斐(ちちぶたまかい)国立公園に属する高山が連なる。市域の大半は山地、丘陵地で、南西部は甲府盆地の北東部にあたる。甲州街道の宿場町であった勝沼、青梅(おうめ)街道(甲州脇往還)に通じる要所であった塩山市街が中心地域。南部をJR中央本線、国道20号、411号が通り、中央自動車道勝沼インターチェンジがある。

 1582年(天正10)武田勝頼(かつより)は織田・徳川連合軍と旧大和村域における激戦に敗れ、武田家は滅亡した。大和町(やまとちょう)田野(たの)の景徳院(けいとくいん)に勝頼の墓がある。勝沼は国中と郡内方面の境にあたる交通の要衝で、武田氏の親族衆である勝沼氏が拠った勝沼氏館跡(国指定史跡)がある。旧塩山市では第二次世界大戦前、周辺養蚕地帯の中心地として繭取引市場が開かれ、集荷範囲は秩父にまで及んだ。大戦後は果樹の栽培が急激に増加した。名所・観光地には武田氏ゆかりの恵林寺(えりんじ)、天目(てんもく)山棲雲寺(せいうんじ)、塩山温泉、嵯峨塩(さがしお)温泉、田野温泉、初鹿野(はじかの)温泉などがある。現在モモ、ブドウなどの果樹栽培が主で、ぶどう酒の醸造も行われている。塩山は大菩薩嶺、大菩薩峠などへの登山の玄関口ともなっている。面積264.11平方キロメートル、人口2万9237(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「甲州」の意味・わかりやすい解説

甲州[市]【こうしゅう】

山梨県東部に位置する市。北部を埼玉県に接し,秩父多摩甲斐国立公園に属する。2005年11月,塩山市,東山梨郡勝沼町,大和村が合併し市制。JR中央本線,中央自動車道,国道20号線,411号線が通じる。東日本大震災で,市内において被害が発生。264.11km2。3万3927人(2010)。

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デジタル大辞泉プラス 「甲州」の解説

甲州

山梨県甲州市で生産されるブドウ。果皮は淡い紅色、皮には果粉がつき、粒が短楕円形。果皮と実離れはよく、食味はさっぱりとしている。12世紀に雨宮勘解由(かげゆ)という人物が偶然発見した、鎌倉時代に中国から伝来したなど、来歴には諸説ある。現在では白ワインの原料に用いられる。

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藩名・旧国名がわかる事典 「甲州」の解説

こうしゅう【甲州】

甲斐国(かいのくに)

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世界大百科事典(旧版)内の甲州の言及

【甲斐国】より

…旧国名。甲州。東海道に属する上国(《延喜式》)。…

※「甲州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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