朝日日本歴史人物事典 「広瀬丹吉」の解説
広瀬丹吉
生年:生年不詳
江戸中・後期,土佐高知采園場町(高知市)の釣り針師。遠祖は京都の神社鍛冶で,応仁の乱を避けて土佐に移住,余業に釣り針も作り,元禄ごろの『土佐名物記』にその名があるという。天明1(1781)年に釣り針職を創業。祖先の移住先の丹吉山にちなみ丹吉と称した。1種類の釣り針で多種類の釣魚が可能な釣り針「伊勢尼」を創始した。以後,代々が丹吉を世襲。明治期の4代目丹吉はカエリがあるようでなく,ないようであるカツオ釣りの名針「そらいけ」を考案。また各種博覧会にも精力的に出品し,常に鋼鉄針最高賞を得る。<参考文献>寺石正路『土佐偉人伝』
(勝部直達)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報