日本大百科全書(ニッポニカ) 「庄内式土器」の意味・わかりやすい解説
庄内式土器
しょうないしきどき
近畿地方の弥生(やよい)時代後期の第Ⅴ様式土器と古墳時代布留(ふる)式土器との間隙(かんげき)を埋める土器群として、1965年(昭和40)に田中琢(みがく)(1933―2022)によって提唱された土器様式。特徴的な土器を出土した大阪府庄内遺跡の名に由来するが、これを纏向(まきむく)Ⅱ・Ⅲ式土器とよぶ者もある。器種としては、大きく開く口縁部に装飾をもつ有段口縁壺(つぼ)、丸底化を始める甕(かめ)、顕著な段を有する高坏(たかつき)、鉢、坩(かん)、小形器台(きだい)、手焙(てあぶり)形土器などがあるが、小形丸底坩はまだみられない。この時期を代表する甕は、外面に細かい叩(たた)き目をとどめ、内面は篦(へら)削りによってごく薄く仕上げてある。この特徴的な土器もしくはその手法の影響は、他の飾られた土器ともども、関東、北陸地方から北九州一円にまで波及している。第Ⅴ様式弥生土器の狭い分布圏とは対照的といえよう。
庄内式土器は、最古の土師器(はじき)様式として設定されたものであるが、これを弥生土器の終末様式として、第Ⅵ様式の名も提唱されるなど、その位置づけが確定するまで、まだ若干の時間を必要としよう。
[岩崎卓也]