建穂村(読み)たきようむら

日本歴史地名大系 「建穂村」の解説

建穂村
たきようむら

[現在地名]静岡市建穂

藁科わらしな川と安倍川の合流点の北西に位置し、東は千代せんだい村。村名の由来は、日本武尊の供の建部なる人物らが庵した故をもって、略して「タケイホ」と称したという(修訂駿河国新風土記)。かつては羽鳥はとり村のうちに含まれていたが、慶長一四年(一六〇九)の彦坂九兵衛による検地で建穂寺を村名としたという(駿河志料)。「駿河記」に建穂寺領、「修訂駿河国新風土記」に「建穂寺の寺領にして駿府浅間社領の内なり」とある。これは慶長七年に駿府浅間社(静岡浅間神社)領のうち四八〇石余が建穂寺分とされているように(「徳川家康朱印状」静岡浅間神社文書)、浅間社の社僧建穂寺の寺領となっていたためで、以後変化なく幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android