日本歴史地名大系 「静岡浅間神社」の解説
静岡浅間神社
しずおかせんげんじんじや
〔平安・鎌倉期の動き〕
元仁元年(一二二四)二月二〇日に「惣社并富士新宮」が焼失し、二二日には鎌倉幕府に伝えられ、翌日に検分のため北条義時の使者が派遣されている(吾妻鏡)。文暦元年(一二三四)一二月三日、浅間新宮の鐘が惣社別当憲信によって改鋳されているが(静岡浅間神社旧蔵の鐘銘拓本)、前述の焼失によるものであろう。なお鐘銘拓本によると、この鐘は延長四年(九二六)に鋳造され、承久三年(一二二一)にも改鋳されていたという。憲信は国分寺別当も兼ね、仁治三年(一二四二)に
〔南北朝期から戦国期の動き〕
建武元年(一三三四)五月二一日、駿河国司が新宮神主職に如意王を補任しているが(「駿河国国宣写」浅間新宮神主所蔵文書)、詳細は不詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報