待野郷
まちのごう
「和名抄」所載の郷。東急本に「万知乃」と訓ずる。郷域は、現輪島市町野町地域から現柳田村へ至る町野川流域のほぼ全域とする説、町野川の中・上流域に限定してとらえる説がある(加能郷土辞彙)。後者の説の根拠となっているのは、承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文の町野庄・下町野庄の位置を町野川の上流側と下流側と考え、町野庄(現輪島市)が鳳至郡、下町野庄(現同上)が珠洲郡に記載されることから、同川流域の北は珠洲郡、南は鳳至郡に属していたとする説である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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