町野庄(読み)まちののしよう

日本歴史地名大系 「町野庄」の解説

町野庄
まちののしよう

庄域は町野川流域一帯に比定され、「和名抄」記載の鳳至ふげし待野まちの郷を継承したと推定される。康治二年(一一四三)一〇月四日の源季兼寄進状(九条家文書)の「珠珠院内若山庄」の四至記載に「西限町野院境山」とみえ、承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文によると、久安元年(一一四五)鳳至郡の町野庄(二〇〇町)珠洲すず郡の下町野庄(五町六段)が立券されている。下町野庄の伝領については不明だが、後年町野庄が町野本庄と称されることから、その加納分が庄園となったと考えられる。下町野庄は町野川下流域一帯を庄域としたと推定されることから、この頃の郡域は同庄の南部を境としていたことが知られる。また応安四年(一三七一)八月二八日書写の四坪薬師寺大般若波羅蜜多経(忍久保家蔵)の奥書に「下町野荘内金蔵寺」とみえ、南北朝期には金蔵かなくら付近も含んでいた。建暦二年(一二一二)二月日書写の八幡宮大般若波羅蜜多経(八幡寺蔵)の奥書などに「上町野庄 八幡宮常住」とみえることから、当庄は下町野庄に対して上町野庄とも称されていたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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