石川県北端、能登半島(のとはんとう)の先端にある市。1954年(昭和29)珠洲郡飯田(いいだ)、宝立(ほうりゅう)、正院(しょういん)の3町と上戸(うえど)、若山(わかやま)、直(ただ)、三崎(みさき)、西海(にしうみ)、蛸島(たこじま)の6村が合併して市制施行。珠洲は古代からの地名。丘陵地が広く、日本海に面する外浦(そとうら)は急崖(きゅうがい)、富山湾岸の内浦は平地や砂浜が発達する。中心街の飯田をはじめ蛸島、正院などの主要集落は内浦にある。国道249号が通じ、半島先端の禄剛(ろっこう)崎を経る周遊道もある。鉄道は、のと鉄道能登線(穴水(あなみず)―蛸島間)が通じていたが、2005年(平成17)4月廃止され、現在は代替バスが通じている。
内浦の丘陵斜面に500基以上もの横穴群集古墳があり、古代から製塩が行われ、出雲(いずも)や大陸の渤海(ぼっかい)との交流もあった。中世には珠洲古陶と称される日用雑器を産した。外浦の大谷(おおたに)は大納言平時忠(ときただ)が配流された地で、墓がある。古来、海上交通の要地で、狼煙(のろし)の地名があり、近くの禄剛崎には灯台が立つ。米、タバコ、野菜、リンゴ、ウメ、クリなどを産し、漁業も盛んでアジ、イワシ、ブリなどを漁獲する。珪藻土(けいそうど)、瓦(かわら)の工業もあるが、出稼ぎ者も多い。禄剛崎からツバ崎までの外浦は能登半島国定公園域で仁江(にえ)海岸などの景勝地に富み、木ノ浦は海域公園に指定されている。珠洲、葭ヶ浦(よしがうら)の両温泉がある。国指定重要文化財に白山(はくさん)神社本殿、須須神社(すずじんじゃ)の木造男神像(鎌倉時代)、江戸時代の豪農黒丸家住宅、重要有形民俗文化財に揚浜製塩用具、漆掻(か)きおよび加賀・能登の漆工用具、国指定天然記念物に須須神社社叢(しゃそう)がある。面積247.20平方キロメートル、人口1万2929(2020)。
[矢ヶ崎孝雄]
『『珠洲市史』全6巻(1976~1980・珠洲市)』
石川県能登半島北東端の市。1954年珠洲郡の飯田,宝立(ほうりゆう),正院の各町と6村が合体,市制。人口1万6300(2010)。市域の三方は海に囲まれ,奥能登丘陵の東端にある宝立山(469m)を最高点に飯田湾まで緩傾斜が続き,北西部は断崖の連なる外浦の岩石海岸である。国道249号線が海岸沿いに市域を取り巻いており,のと鉄道線が蛸島(たこじま)まで通じていた(2005年穴水~蛸島間は廃止)。飯田湾に面した丘陵斜面には約500基の横穴古墳群があり,早くからこの地が開けていたことを示す。珠洲岬の突端,狼煙(のろし)町の禄剛(ろつこう)崎には海上交通の要点として奈良時代に烽火(のろし)台が置かれた。近世初期から加賀藩の所領となり,揚浜式塩田による塩の生産が盛んで,外浦では第2次大戦後まで行われていた。市域の大半が林野で占められ,農林業が主産業で,工業は振るわないため,明治期以来,北海道への移住や〈能登杜氏(とうじ)〉などの出稼ぎが多かった。伝統産業として良質のケイ藻土を使った窯業があり,近年,織布業を中心とした繊維関係工場の立地が進んだ。海岸線の多くが能登半島国定公園に指定され,木ノ浦海岸,珠洲岬,見付海岸などの景勝地のほか,1185年(文治1)配流された平時忠の墓や江戸時代の豪農黒丸家住宅がある。
執筆者:斎藤 晃吉
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