朝日日本歴史人物事典 「後藤用介」の解説
後藤用介
近世初頭活躍した加賀国金沢の銀座人。豊臣秀吉の命により天正大判を鋳造した京都の金匠,後藤徳乗の弟子。その技術を買われ,前田利家の招請で天正末~文禄ころ金沢に移った。すでに金沢には銀座がおかれていて,先任者の矢田主計と共に加賀小判や花降銀の鋳造に当たった。慶長16(1611)年,越中国亀谷銀鉱の生銀から銀幣花降銀製造の際,その品位を落とした罪により銀座役を解かれ,蟄居を命ぜられた。しかし,寛永14(1637)年,再び鋳貨御用の請書に名を連ねており,許されたものとみられる。<参考文献>日本銀行調査局編『図録日本の貨幣』2巻,森田柿園『加藩貨幣録』
(岩橋勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報