桃山,江戸時代の彫金工。後藤祐乗を祖とする後藤宗家の5代目で,通称を源次郎光基といい,父光乗の嫡男として京都に生まれた。後藤家は代々装剣金具の製作を家業とし,足利将軍家に仕えたが,足利家滅亡後,徳乗は織田信長,豊臣秀吉に仕えた。特筆すべきは,家業のほかに大判金と金銀を測る天秤の分銅を製作したことで,同家の記録では1581年(天正9)信長から父とともに分銅大判役を命ぜられたと伝えている。信長没後も秀吉から引き続きこの役を与えられ,1591年4月には山城国の愛宕郡市原村,久世郡中村,葛野郡西院村に私領250石を永代不易に与えられる厚遇を得,やがて畿内各地に成立していた金屋,金吹きの業を独占掌握するようになった。天正16年(1588)の墨書がある丸枠桐極印のある大判は,徳乗が製作したものである。徳乗の得た分銅大判製作の特権は江戸時代にも引き継がれ,代々世襲された。さらに徳乗の弟子山崎庄三郎(後藤庄三郎)は金座における小判の製造,鑑査の独占請負を徳川家康から与えられ,後藤家は江戸期を通じて社会的,経済的繁栄をみた。
執筆者:原田 一敏
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(加島勝)
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1550~1631.10.13
織豊期~江戸初期の装剣金工。後藤家の5代目。京都生れ。1582年(天正10)父の4代光乗とともに豊臣秀吉から判金改め・分銅役を引きうけ,同家の財務管理の一部を担当,天正大判の製作にも従事している。装剣金工としての作品は三所物(みところもの)がおもで,赤銅・金の地金に竜・獅子など伝統的な文様を高彫で表したものが多く,格調が高い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…初代庄三郎(1571‐1625)はその由緒書に本姓は美濃国加納城主長井氏とあるが,疑わしい。むしろ,京都にあって豊臣秀吉のもとで大判吹きに従っていた後藤徳乗の弟子山崎庄三郎というのが正しいであろう。1593年(文禄2)秀吉からの下命をうけて徳川氏のために関東へ下ったが,これは,師家後藤四郎兵衛徳乗(光基)の養子となり,後藤家代々の名のり〈光〉の一字を許されて光次と称し,徳乗の名代として下ったものであった。…
※「後藤徳乗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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