日本歴史地名大系 「後閑文書」の解説
後閑文書
ごかんもんじよ
解説 新田岩松(礼部家)氏の支族が西上野に入部して成立した後閑氏の家文書。京都大学文学部蔵(流出経路不詳)。戦国時代の文書一一点。後閑氏は信純の代に武田氏に属して後閑の地を宛行われ、天正七年に所領を後閑弥太郎・上条善次郎に配分されて以後、両後閑家(後閑系・上条系)として併称された。武田家滅亡の後は北条氏の属将となり、松井田城普請や厩橋城本堂曲輪在番を命じられており、本貫地後閑のほかに岩松・高林・高島等を領していた。後閑氏の下女を新保郷百姓が「兄弟之好」と称して拉致していた事件を裁いた、天正一五年四月二〇日の北条家裁許朱印状なども含まれる。上条系後閑氏の動向については、写本ながら群馬大学図書館蔵新田文庫文書のなかに六点の関連文書が見いだせる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報