高島(読み)タカシマ

デジタル大辞泉 「高島」の意味・読み・例文・類語

たかしま【高島】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「高島」姓の人物
高島嘉右衛門たかしまかえもん
高島秋帆たかしましゅうはん
高島米峰たかしまべいほう

たかしま【高島】[滋賀県の市]

滋賀県北西部にある市。近畿中心部と北陸を結ぶ西近江路、若狭路が縦貫する。平成17年(2005)1月にマキノ町、今津町、朽木くつき村、安曇川あどがわ町、高島町、新旭町が合併して成立。人口5.2万(2010)。

たかしま【高島】[長崎県の旧町名]

長崎県西彼杵にしそのぎ郡にあった町。高島・中ノ島・島からなり、海底炭田で知られた。平成17年(2005)1月に長崎市に編入。

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精選版 日本国語大辞典 「高島」の意味・読み・例文・類語

たかしま【高島】

  1. [ 一 ] 滋賀県北西部の地名。琵琶湖の西岸にある。西近江路が南北に通じ、今津から若狭街道(九里半街道)が分かれる。平成一七年(二〇〇五)市制。
  2. [ 二 ] 長崎県南部、長崎半島西方沖合の島。長崎市に属する。江戸時代から開発された旧海底炭鉱の島。
  3. [ 三 ] 北海道南西部、小樽湾の西北にあった郡名。明治二年(一八六九)後志(しりべし)国の一郡として成立。同四三年後志支庁の所属となったが、昭和一五年(一九四〇)小樽市に編入されて消滅。

たかしま【高島】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「高島」の解説

高島
たかしま

[現在地名]高島町高島

長崎半島の西にある高島を村域とする。鎌倉中期に平家落人が来住したという伝説がある。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉による九州仕置により深堀純賢は旧領を安堵され、一時期は所領を没収されるが、この頃に長崎代官であった鍋島直茂の管轄下に置かれたという。しかし深堀氏の旧領は回復され、江戸時代は肥前佐賀藩家老の深堀鍋島家領であったようである。ただし江戸時代は同領深堀ふかほり(現長崎市)の属島であったとされ、天保郷帳にも記載がない。高島村の村号を用いるようになったのは元禄年間(一六八八―一七〇四)ともいう(郡村誌)正保国絵図に「鷹島」「二子島」「中ノ島」、元禄国絵図では「高島」「二子島」「中ノ島」と記される。元禄六年六月、六九番唐船(広東船)が逆風にあって「高島」に停泊を余儀なくされ、深堀から遠見番船が派遣されているが、曳船も不可能であった(唐通事会所日録)。享和三年(一八〇三)の郡村仮名付帳に「人家有之候島」の一つとして「彼杵郡 深堀郷之内 高島」とある。文化一〇年(一八一三)九月、伊能忠敬の一行は高島を測量、「羽島」「中島」が記される(伊能忠敬測量日記)

寛永一九年(一六四二)佐賀藩の遠見番所が地内の法螺ほらヶ岳の山頂に置かれ、異国船の出入りを監視した。


高島
たかしま

[現在地名]佐世保市高島町

九十九島くじゆうくしま湾の西にある高島を村域とする。北にさがり山、南にばん岳があり、東部にくじらヶ浦がある。かつお瀬戸を挟んで東方にトコイ島・上皆かみみな島・下樫木しもかたぎ島・上小高かみこだか島などが浮ぶ。江戸時代は平戸藩領相神浦筋郡代の管轄下にあった。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に高島とみえ、高三一石余で、田二町一反余・畠五反余、物成一五石余。慶長国絵図では鷹島、正保国絵図では高島とする。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では相神浦大里あいこのうらおおざと(山口村)内に高島免とある。村号を付さずに高島とする例が多く、寛文四年(一六六四)の松浦鎮信領知目録(寛文朱印留)でも高島と記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳でも高三一石余。


高島
たかしま

土田つちだの沖合一二キロの海上に浮ぶ孤島。周囲四キロ、最高標高一一七メートル、全島輝石安山岩からなり、激しい海食で断崖に囲まれる。古来七戸しちこ島とよばれ、七戸以上に増加することは島の危機を示すことであった。移住については出羽いずは(現瑞穂町)武士の亡命説、出雲馬木まぎ(現横田町)武士の漂流説、茶臼山ちやうすやま(現三隅町)水軍の逃亡説の三説が「陰徳太平記」「雲陽実記」「馬木村案内」「石陽軍見聞記」などに語られているが詳細不明。


高島
たかしま

[現在地名]笠岡市高島

神島外浦こうのしまそとうらの南方約二キロにある島。周囲約六キロ、面積約一・二平方キロで、国指定名勝。近世は神島外浦に属した。北岸の黒土くろつち王泊おうどまりからは縄文式土器をはじめ多くの注目すべき遺物が出土。「日本書紀」「古事記」にみえる伝説上の吉備の高島宮の所在を当地に擬する伝えがある。しかし、「備中集成志」では「高島トハ則神島ノ事也。其謂ニヨリ高島トモ神島トモ書セリ」とみえ、高島宮の所在を当島に擬するのか、神島に擬するのか判然としない。「高倉院厳嶋御幸記」治承四年(一一八〇)三月二四日条に「とらのときにつゞみをうちてび中のくにせみとといふ所につかせ給」とみえ、嘉永七年(一八五四)の一枚刷の備中国巡覧大絵図などは王泊をこのときの高倉上皇行宮跡とする。


高島
たかしま

[現在地名]宇和島市遊子

宇和島港の西方約八キロ、宇和島湾内にある無人島。「大成郡録」に「御城下組遊子内」とあり、上波うわば(遊子)浦に属した。伊能忠敬の「日本実測録」には「高島上波浦 周廻一里三町一十八間」とある。

御年譜微考」には、元禄四年(一六九一)この島に家が建てられ、山畑が開発されて新浦となったとある。「北宇和郡誌」によれば、高島には五ヵ所の網代(漁場)があり、そのうち一ヵ所を島民が使用し、他の四ヵ所で操業した場合は漁獲分の二〇パーセントを遊子ゆす浦に出す、山畑の開発は自由であるが、魚干場は家居の分を使用せよ、と宇和島藩が元禄四年三月三日付で通達している。


高島
たかしま

[現在地名]唐津市高島

唐津湾の松浦川河口より約二千五〇〇メートル北方にある台形の島。周囲およそ三千二〇〇メートル、標高一六九・七メートルで、玄武岩よりなる。北東側は絶壁で、南部の砂浜海岸にわずかな耕地と村落がある。水に乏しく耕地は畑のみで、住民は漁業を主とする。

慶長絵図に「鏡ノ内 高島」とみえ、文化年中記録に穀船一、網船六、漁船一〇、川船一三、鮪船二、マオセ網一、小鰯網二、手操網一、高網二とある。

天正年間(一五七三―九二)野崎綱吉という者が浜崎はまさき(現東松浦郡浜玉町)よりきて海賊吉井主吾を討ち、土着して島を支配したという。明治に入り姓を称する際、綱吉をあがめ、島民すべて野崎を姓とした。

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改訂新版 世界大百科事典 「高島」の意味・わかりやすい解説

高島[市] (たかしま)

滋賀県北西部,琵琶湖西岸にある市。2005年1月安曇川(あどがわ),今津(いまづ),新旭(しんあさひ),高島,マキノの5町と朽木(くつき)村が合体して成立した。人口5万2486(2010)。

高島市南東部の旧町。旧高島郡所属。人口1万(2000)。琵琶湖西岸に位置し,西部は比良(ひら)山地,東部は安曇川の三角州で,水田が広がる。主産業は米作を中心とする農業で,湖岸と安曇川下流ではアユ漁が行われている。若狭にぬける朽木街道と西近江路の分岐点にあたる交通の要衝で,南市では室町時代には市が開かれ,安曇川河口の南舟木は木材の集散地であった。地場産業には京扇子に使われる扇骨の生産があり,扇骨の製造は近世末に安曇川の堤防の竹材利用からはじまり,現在は全国生産高の9割を占める。高島クレープなどの繊維工業も行われ,かつては高島すずりの生産が盛んであった。湖岸に沿って国道161号線が走り,JR湖西線も開通したため,住宅地化や工業化が進みつつある。中江藤樹の生地で書院跡は史跡に指定されており,記念館もある。

高島市北部の旧町。旧高島郡所属。人口1万3921(2000)。北部は石田川の流域にあたり,南部は洪積台地饗庭野(あえばの)が占める。東は琵琶湖に面し,今津港がある。湖岸沿いにJR湖西線が走り,近江今津駅周辺には近代的な商店街が形成されている。古くから九里半街道(若狭街道)と大津からの湖上舟運との接点として栄え,高島郡の中心地として発展した。米作中心の農業が主産業で早場米地帯として知られ,酪農や野菜生産も盛ん。奥琵琶湖観光の拠点で,京阪神からの観光客が多く,夏は今津浜での湖水浴,冬は箱館山でのスキーが中心である。箱館山では家族旅行村も整備されている。
執筆者:

《延喜式》によれば,古代には若狭からの物資は今津より南の勝野津を経由して大津への湖上運送が定められていた。今津の地名がみえる史料は《源平盛衰記》が早い例で,今津の成立は中世の初頭であろう。今津の南,旧新旭町の木津(古津にその名の由来がある)に対し,その後にできた津ということから今津と称したと伝える。中世以降,京都から北陸,山陰を結ぶ九里半街道と湖上舟運の接続地として発展した。鎌倉期には延暦寺東塔東谷金剛院が〈今津浜〉を領有しており,下って享禄(1528-32)ころには今津南市商人が蒲生郡得珍保の保内商人と九里半街道の通行利権をめぐって争っている。1581年(天正9)には新庄馬借などが若狭の貨物を大溝(現高島市,旧高島町)に着けたことを訴え出られた大溝城主織田信重によって,今津へも若狭からの貨物を着けることが命ぜられている。83年豊臣秀吉は若狭からの貨物を運搬する商船はすべて今津以外の浦からは発着させないことを浅野長政に命じ,また,今津で新規に荷役をかけることを禁じるとともに,商人のための飲食,宿泊の便の提供を命じている。
執筆者:

高島市西部の旧村。旧高島郡所属。人口2625(2000)。西は京都府,北は福井県と接する。比良山地北部および丹波高地の東部にあたる標高450~900mの連峰で囲まれ,花折断層に沿って北流する安曇川や針畑川,北川,麻生川の流域に集落が点在する。町域の9割を山林が占める峡谷型の山村で,古くから木材を京都に供給していた。近年林業生産量は低迷している。かつて盛んであった木炭の生産はほとんど行われなくなり,シイタケ栽培が零細な稲作農業の副業として行われている。安曇川支流の朽木渓谷は,県立自然公園の中心にあたり,アユ釣り客や行楽客を多く集めている。森林公園やスキー場の整備による活性化策も図られている。
執筆者:

歴史

山間地域であるが,京都から若狭国小浜に通じる街道に沿い,かつては交通・運輸の要衝で,中世には朽木荘といわれた。1001年(長保3)に中納言兼大宰帥平惟仲が朽木荘を白川寺喜多院に施入したとあるのが史料上の初見(《高野山文書》)。承久の乱後,宇多源氏の流れをくむ佐々木信綱がここの地頭職を与えられ,その曾孫義綱以来,代々朽木氏を名乗って地頭職を継承した。室町時代には,朽木氏が室町幕府と密接な関係にあったため,京都を追われた将軍足利義晴や義藤(義輝)が朽木氏を頼ってここに逃避したりした。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦では,朽木元綱が途中から西軍を裏切って東軍に属し,その功によって徳川家康より本領を安堵され,近世以降も朽木氏が支配した。なお,岩瀬にある旧秀隣寺庭園は,室町時代の代表的庭園として知られている。
執筆者:

高島市東部の旧町で,琵琶湖西岸に位置する。旧高島郡所属。人口1万1068(2000)。東部は安曇川の三角州,西部は饗庭野の洪積台地にある。北端にある木津(こうつ)は古代から琵琶湖水運の港として開け,近世には船問屋9軒,渡船宿100軒を数える港町に発展し,小浜藩の蔵屋敷も置かれた。現在はクレープ,麻などの繊維工業が盛んで,扇骨製造でも知られる。農業は米作が中心だが,キャベツ,カブなどの野菜栽培も行われる。JR湖西線が通じる。湖岸には風車村(現,道の駅しんあさひ風車村)などの観光施設が造られている。

高島市南部の旧町。旧高島郡所属。人口7138(2000)。琵琶湖西岸に位置し,比良山地の東斜面と鴨川沿いの沖積平野からなる。中心集落の勝野は,織田信長のおい信澄が築いた大溝城の旧城下町で,江戸時代は大溝藩分部氏2万石の陣屋が置かれた。現在も陣屋の総門などが残り,城下町のおもかげを伝えている。米作農業が中心で,特産の〈高島カンラン〉など野菜栽培も盛んである。1974年国鉄(現JR)湖西線が開通し,京阪方面から湖岸に訪れる人が多い。長寿神として知られる白鬚神社,鴨に金銅製冠などを出土した稲荷山古墳がある。

高島市北東端の旧町。旧高島郡所属。人口6210(2000)。琵琶湖の北西岸に位置し,三国山,赤坂山など野坂山地の南東斜面を占める。湖に沿ってJR湖西線,国道161号線(西近江路)が走り,集落がこれらの沿線と湖岸に分布する。中心集落の海津は,北陸地方と京都,大坂を中継する湖上交通の港として栄えたが,江戸時代初期に日本海の西廻海運が開かれて以降はしだいに衰微した。琵琶湖に突き出した海津大崎は琵琶湖八景に数えられる景勝地で,702年(大宝2)泰澄の開基と伝えられる大崎寺がある。山地斜面のマキノスキー場,マキノ高原,マキノ白谷温泉などもあり,京阪神からの観光客が多い。農業は米作のほかに栗などの観光農業も行われている。
執筆者:


高島(長崎) (たかしま)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高島」の意味・わかりやすい解説

高島(市)
たかしま

滋賀県北西部にある市。2005年(平成17)高島郡のマキノ、今津(いまづ)、安曇川(あどがわ)、高島、新旭(しんあさひ)の5町と同郡朽木村(くつきむら)が合併して市制施行、旧郡名をとり、高島市となった(高島郡は消滅)。

 北部は野坂山地を境に福井県、南西部は比良(ひら)山地を境に京都府と接し、東部は琵琶湖(びわこ)に面している。市域を北側から知内川、百瀬(ももせ)川、石田川、安曇川、鴨(かも)川などが貫流する。日本海に近く、冬季の積雪量は多い。古来、京都と北陸地方を結ぶ交通の要衝として栄え、海津、今津などは琵琶湖水運の拠点でもあった。現在はJR湖西線(こせいせん)、国道161号、303号、367号が通じている。農業は稲作が中心で、野菜栽培、乳用牛の飼育なども行われている。高島クレープなどの繊維工業が発達し、扇骨などの伝統産業も盛んである。古代より開けた地域で、新旭町の針江遺跡群(弥生時代)や鴨の稲荷山(いなりやま)古墳などが残されている。また、海人(あま)の安曇(あづみ)族など古くから渡来人の定着した地ともいわれる。近世では勝野に大溝(おおみぞ)藩分部(わけべ)氏2万石の陣屋、朽木市場(いちば)に旗本朽木氏の陣屋が置かれていた。日本の陽明学の祖といわれた中江藤樹(なかえとうじゅ)を輩出、藤樹書院跡は国指定史跡。また、探検家の近藤重蔵(じゅうぞう)(守重(もりしげ))の墓所もある。長寿の神白鬚神社(しらひげじんじゃ)の本殿は国指定重要文化財、旧秀隣寺庭園は国指定名勝。海津大崎は琵琶湖国定公園に含まれ、サクラの名所としても知られる。そのほか、総合果樹園「マキノピックランド」、ガリバー青少年旅行村、オランダ風車や花菖蒲(しょうぶ)園のあるしんあさひ風車村、朽木の自然を体験できる「グリーンパーク想い出の森」などの施設がある。面積693.05平方キロメートル、人口4万6377(2020)。

[編集部]

『『高島町史』(1983・高島町)』



高島(長崎県)
たかしま

長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(高島町(ちょう))。現在は長崎市の一地区(長崎市高島町)。旧高島町は1948年(昭和23)町制施行。1955年、高浜(たかはま)村中ノ島、端島と合併。2005年(平成17)1月長崎市に編入。旧町域は、長崎半島の西方海上に浮かぶ高島、中ノ島(なかのしま)、端島(はしま)(軍艦島(ぐんかんじま))、飛島(とびしま)からなる。高島は江戸時代以来石炭採掘が行われ、製塩用燃料として瀬戸内にまで売り出したと伝えられるわが国でもっとも古い炭坑の島。高島は本村(ほんむら)、尾浜(おばま)、中山(なかやま)の集落に分かれていたが、現在は3集落とも連続した街を形成。尾浜に高浜港があり、長崎港との間に定期船が通じる。中ノ島、端島も炭坑開発によって人口が集中したが、1974年閉山、一挙に無人島化した。1966年、海底炭田の町としての最盛期には人口2万人近くに達したが、残る高島も1986年閉山。

[石井泰義]



高島(滋賀県)
たかしま

滋賀県中西部、高島郡にあった旧町名(高島町(ちょう))。現在は高島市の南部を占める一地区。旧高島町は1943年(昭和18)大溝(おおみぞ)町(1902年町制)と水尾(みずお)、高島の2村が合併して成立。1956年滋賀郡志賀(しが)町鵜川(うかわ)地区を編入。2005年(平成17)高島郡のマキノ町、今津(いまづ)町、安曇川(あどがわ)町、新旭(しんあさひ)町、朽木(くつき)村の4町1村と合併して市制施行、高島市となった。旧町域は比良(ひら)山地の東麓、鴨(かも)川の流域を占める。国道161号、JR湖西線(こせいせん)(1974年開通)が琵琶(びわ)湖西岸沿いを走る。中心集落の勝野(かつの)は、織田信長の甥(おい)織田信澄(のぶずみ)が大溝(おおみぞ)城を築き、江戸時代には大溝藩分部(わけべ)氏2万石の陣屋が置かれた。一帯は『倭名鈔(わみょうしょう)』三尾(みお)郷の地と考えられ、水尾が崎は『万葉集』にも詠まれ、古代の三尾城もこの付近にあったと推定される。湖岸に長寿の神の白鬚神社(しらひげじんじゃ)(本殿は国指定重要文化財)、鴨に稲荷山(いなりやま)古墳、また探検家の近藤重蔵(じゅうぞう)(守重(もりしげ))の墓所もある。湖西線開通以来、萩の浜(はぎのはま)水泳場や岳山などを訪れる人が増加している。主産業は米作や蔬菜栽培などの農業である。

高橋誠一


高島(島)
たかしま

長崎市に属する島。長崎半島の西方6キロメートルの海上に浮かぶ。面積1.19平方キロメートル。かつては高島と二子島(ふたごしま)は分離していたが、砂嘴(さし)の発達と炭坑のぼたによる埋立てが行われ、1925年(大正14)前後には一島となった。権現(ごんげん)山(115メートル)を中心とする丘陵地で、元禄(げんろく)~宝永(ほうえい)年間(1688~1711)この島で野焼きの際、石炭が発見されたといわれる。二子坑によって海面下数百メートルの海底炭田が稼行していたが、1986年(昭和61)閉山した。人口616(2009)。

[石井泰義]


高島(大分県)
たかしま

大分県東部、大分市、佐賀関半島関崎(せきざき)沖合い3.7キロメートルにある無人島。瀬戸内海国立公園に含まれる。周囲5.5キロメートル、面積0.94平方キロメートル、最高点136メートル。緑色結晶片岩からなり、20~40メートルの海食崖(がい)が発達している。ビロウ、アコウ、ハマユウなどが自生し、ウミネコの営巣地としては日本の南限である。大正末期に豊予要塞(ほうよようさい)の一部として砲台が設けられた。キャンプ、磯(いそ)釣りができる。

[兼子俊一]


高島(岡山県)
たかしま

岡山県南西部、瀬戸内海の笠岡(かさおか)諸島の一島。笠岡市に属す。面積1.21平方キロメートル。最高地点77メートル。瀬戸内海国立公園域で、島内には縄文・弥生(やよい)時代などの遺跡が多く、国の名勝に指定されている。神武(じんむ)天皇東征伝説の行宮(あんぐう)の地とされる。海水浴場、遊歩道が整備されている。笠岡港から約12キロメートル、定期船便がある。人口120(2009)。

[由比浜省吾]


高島(島根県)
たかしま

島根県西部の日本海上にある島。益田(ますだ)市に属す。面積0.39平方キロメートル。最高点は117メートル。第三紀の輝石安山岩や集塊岩からなり、平坦(へいたん)地は少ない。中世から居住者があり、主として漁業を営んだが、飲料水は天水に頼っていた。1972年(昭和47)集中豪雨で大きな被害を受け、そのため1975年に9戸24人の全島民が益田市土田(つちだ)町に移住し無人島となった。磯(いそ)釣りの好適地。

[飯田 光]

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百科事典マイペディア 「高島」の意味・わかりやすい解説

高島[町]【たかしま】

長崎県南部,西彼杵(にしそのぎ)郡の旧町。長崎半島西方の高島と端島(はしま)などからなり,長崎市と定期船で連絡。高島は1868年日本で初めて近代的採炭が行われた地で,良質炭を産したが,1986年閉山。端島は高層のアパートが多く,軍艦島ともいったが,端島鉱は1974年閉山。飲料水は対岸の三和町(現・長崎市)から海底水道で送水。2005年1月西彼杵郡香焼町,伊王島町,野母崎町,三和町,外海町と長崎市へ編入。1.27km2。904人(2003)。

高島[町]【たかしま】

滋賀県,琵琶湖西部,高島郡の旧町。比良山地東斜面と鴨川流域の沖積平野にまたがり,米作が盛んで,麦,大豆の栽培も行われる。湖西線が通じる。1993年に琵琶湖がラムサール条約登録湿地となる。2005年1月高島郡マキノ町,今津町,安曇川町,新旭町,朽木村と合併し市制,高島市となる。63.20km2。7145人(2003)。

高島[市]【たかしま】

滋賀県北西部,琵琶湖西岸を占める市。市内を安曇川が流れる。2005年1月高島郡マキノ町,今津町,安曇川町,高島町,新旭町,朽木村が合併し市制。JR湖西線,国道161号線,303号線,367号線が通じる。1993年に琵琶湖がラムサール条約登録湿地となる。693.05km2。5万2486人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高島」の意味・わかりやすい解説

高島
たかしま

滋賀県北西部,高島市南部の旧町域。琵琶湖中西岸にある。 1943年大溝町と高島村,水尾村の2村が合体して町制。 2005年マキノ町,今津町,朽木村,安曇川町,新旭町の5町村と合体して高島市となった。中心地区の勝野は古くは勝野津と呼ばれ,若狭方面からの年貢米の船積み地で,江戸時代は大溝藩分部氏2万石の城下町として発展。米作が主で,織物業,酒造業もある。比良明神をまつる白鬚神社 (本殿は国の重要文化財) ,近藤重蔵の墓,萩の浜水泳場などで知られる。南部と湖岸一帯は琵琶湖国定公園に属する。

高島
たかしま

長崎県南部,長崎市南部の旧町域。長崎湾にある高島,中ノ島,端島で構成される。 1948年町制。1955年高浜村の一部(瑞島)と合体。2005年長崎市に編入。高島と端島は海底炭田(→高島炭鉱)の坑口を有し,高カロリーの原料炭を産してきたが,そのうち軍艦島と呼ばれた端島は 1974年に,高島は 1986年に閉鉱した。高島は宝永年間(1704~11)以来といわれる採炭の歴史をもち,幕末には肥前藩営で採掘が行なわれ,慶応4(1868)年にトマス・ブレーク・グラバーとの協同により操業された日本最初の洋式設備をもつ炭鉱であった。グラバー別邸跡,石炭資料館などがある。高島炭坑と端島炭坑はいずれも国指定史跡で,2015年世界遺産の文化遺産に登録された。

高島
たかしま

大分県東部,佐賀関半島沖合い 3.5kmの速吸瀬戸にある無人島。大分市に属する。最高点は 146m。 1924年豊予要塞の一部として砲台が築かれた。第2次世界大戦後は一時,戦災孤児のための高島共和園がつくられたが,1953年以後は再び無人島。夏季にはキャンプ場のほか,釣り場として利用される。 1956年瀬戸内海国立公園に指定。亜熱帯性植物のビロウ,ハマユウ,アコウ自生地の北限,ウミネコ繁殖地の南限とされる。面積 0.8km2

高島
たかしま

徳島県北東端,鳴門市に属する鳴門三島の1つ。東に大毛島,北西に島田島が接近し,その間の内ノ海は真珠,ハマチの養殖場。島の大半を占める藩政時代以来の塩田跡地には,国立鳴門教育大学が建設された。面積 2.37km2。人口 2233 (1996) 。

高島
たかしま

宮崎県北東端,日向灘に浮かぶ無人島。延岡市に属し,宮野浦港の南方約 3.5kmに位置する。周囲約 2km,面積約 0.2km2ビロウの自生地が国の天然記念物に指定されている。日豊海岸国定公園に属する。付近はハマチの養殖場。

高島
たかしま

佐賀県北西部,唐津湾にある島。唐津市に属し,メサ (テーブル) 状の玄武岩台地から成る。漁業が主で畑作を兼ね,ノリの養殖もみられる。唐津の中心市街地から約 3kmの沖にあり,定期船が通じる。玄海国定公園に属する。面積 0.62km2。人口 368 (2000) 。

高島
たかしま

繊維・建材の商社。1915年,繊維製品の販売を目的として高島屋商店として創立。1931年株式会社に改組。1939年に高島屋工業に改称して,1949年現社名となる。その後,電子部品の取り扱いを開始し,1994年からは太陽光発電システムの普及に取り組むなど,多角化を推進している。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「高島」の解説

高島

正式社名「高島株式会社」。英文社名「TAKASHIMA & CO., LTD.」。卸売業。大正4年(1915)前身の「合名会社高島屋商店」設立。昭和6年(1931)株式会社化。同24年(1949)現在の社名に変更。本社は東京都千代田区神田駿河台。商社。発祥の繊維製品から取扱品目を多角化。主力は建材。ほかに鉄道車両用部材・電子機器・アパレル製品など。東京証券取引所第1部上場。証券コード8007。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

デジタル大辞泉プラス 「高島」の解説

高島〔長崎県佐世保市:伊王島の南方〕

長崎県長崎市の南西、伊王島の南方約5キロメートルに位置する島。面積約1.19平方キロメートル。明治・大正・昭和にかけて石炭産業で栄えた。炭鉱は1986年に閉山、跡地には石炭資料館が設置されている。高島での石炭事業を成功させた三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の銅像がある。

高島〔長崎県佐世保市:相浦港の西方〕

長崎県佐世保市、本土の相浦港の西方沖約7キロメートルに位置するタツノオトシゴのような形の島。面積は約2.56平方キロメートル。島南部の番岳(標高136メートル)には幕末に異国船の見張所が置かれた。漁業が盛んでカマボコなどが特産品。平戸市に属する同名の島とは異なる島。

高島〔岡山県笠岡市〕

岡山県笠岡市、笠岡港の沖約12キロメートル、笠岡諸島の島々のうち、最も本土近くに位置する島。面積約1.05平方キロメートル。「古事記」に見られる高島行宮(あんぐう)は当地をさすとも言われている。島東部の神卜(かみうら)山山頂には「子はらみ石」と呼ばれる巨石がある。

高島〔佐賀県〕

佐賀県唐津市、唐津湾の松浦川河口部から約2.5キロメートルに位置する玄海諸島の島。面積約0.62平方キロメートル。島の産土神を祀る塩屋神社の境内社である宝当神社は、その名から宝くじの当選祈願にご利益があると言われ、全国的に有名。

高島〔大分県〕

大分県大分市、佐賀関半島の先端から東へ約3.7km、豊予海峡に浮かぶ無人島。第二次世界大戦後に、戦災孤児のための保護施設が作られたが、1953年に廃止されて無人島化。ウミネコの営巣地の南限としても知られる。

高島〔島根県〕

島根県益田市北部の土田地区の北方、約12kmに位置する無人島。高島灯台がある。かつては有人島だったが、1972年の集中豪雨で大きな被害を受け、住民が集団移転して無人島化した。

高島〔長崎県平戸市〕

長崎県平戸市の南西端にある平戸諸島の島。宮ノ浦地区の西約1.5キロメートルに位置する。面積約0.25平方キロメートル。太平洋戦争の際に設置された砲台跡がある。

高島〔宮崎県〕

宮崎県延岡市北浦町、宮浦地区の南方に位置する無人島。亜熱帯性植物のビロウ自生の北限地として、国の天然記念物に指定されている。

高島〔愛媛県宇和島市〕

愛媛県宇和島市、九島の南西、宇和島港の西約5.6kmに位置する無人島。西予市にある高島とは別の島。

高島〔岡山県岡山市〕

岡山県岡山市、児島湾内にある花崗岩の無人島。笠岡諸島の最北端に位置し、国の名勝に指定されている。

高島〔愛媛県西予市〕

愛媛県西予市三瓶町下泊の北西沖、宇和海に浮かぶ無人島。宇和島市の高島とは別の島。

高島〔長崎県西海市〕

長崎県西海市西彼町、亀浦郷の恵比須鼻東方の大村湾に浮かぶ無人島。

高島〔香川県〕

香川県高松市庵治町にある無人島。

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世界大百科事典(旧版)内の高島の言及

【佐賀関半島】より

…北からの湾入を上浦(うわうら),南を下浦(したうら)といい,この地峡部に佐賀関町の市街地が立地する。半島先端は地蔵崎で,その洋上にウミネコ生息地として有名な高島がある。半島の地質は三波(さんば)川帯に属し,結晶片岩を主とする変成岩からなる地塁山地で,北岸には顕著な断層崖が連なる。…

【北浦[町]】より

…リアス海岸をなす海岸部には古江などの集落が発達し,市振漁港を拠点に沿岸漁業が行われるほか,ハマチの養殖や水産加工業が盛ん。天然記念物指定のビロウの自生北限地高島をはじめ,海水浴場として知られる下阿蘇・大間海岸などがある海岸一帯は日豊海岸国定公園に属する。国道388号線が通じる。…

※「高島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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