御園生圭輔(読み)ミソノオ ケイスケ

20世紀日本人名事典 「御園生圭輔」の解説

御園生 圭輔
ミソノオ ケイスケ

昭和期の放射線医学者 元・原子力安全委員会委員長;元・科学技術庁放射線医学総合研究所所長。



生年
大正1(1912)年12月15日

没年
平成7(1995)年8月25日

出生地
広島県呉市

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和63年〕

経歴
昭和11年陸軍二等軍医となり、20年軍医学校教官として広島の原爆被ばく調査にあたる。同年国立東京第一病院レントゲン科医長、23年結核予防会保生園長、42年科学技術庁放射線医学総合研究所長を歴任。わが国放射線医学の草分け。56〜62年原子力安全委員会委員長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「御園生圭輔」の解説

御園生圭輔 みそのう-けいすけ

1912-1995 昭和時代後期の放射線医学者。
大正元年12月15日生まれ。昭和20年陸軍軍医として広島の原爆被爆調査にあたる。42年放射線医学総合研究所所長。56年原子力安全委員会委員長となり,原発建設の際に地元意見をきく公開ヒアリング制度の導入に力をつくした。平成7年8月25日死去。82歳。広島県出身。東京帝大卒。随筆集に「竹ぼうき」。

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