志久峠(読み)しくとうげ

日本歴史地名大系 「志久峠」の解説

志久峠
しくとうげ

[現在地名]多久市多久町字柴折

現多久町おかから杵島きしま郡北方町の志久に通じる峠。のち桐岡きりおかから登るようになった。伊万里往還の多久町駅から南に分れる杵島への道として、東のうう峠・西の馬神まがみ峠とともに早くから通用されていた。

天文一三年(一五四四)竜造寺周家が多久宗時の梶峰かじみね城を攻め落して入城して以来、後藤貴明の兵と竜造寺氏は、この志久峠を境に攻防を繰り返しているが、志久峠での二つの出来事が「水江事略」に記されている。その一つは元亀二年(一五七一)一一月二四日条に

<資料は省略されています>

とあり、もう一つは天正元年(一五七三)正月元日条に、

<資料は省略されています>

とある。別名柴折しばおり峠の由来に関連し、「丹邱邑誌」は「此ヲ柴折ト云ハ、邑臣野田安芸、武雄ニ属スル徳永(岩永の後の姓)道雪ト嶺上ニ行逢、単騎ニテ戦、安芸戦死、其屍腐レテ臭気絶(ママ)難ク、又見苦シキ故、往来ノ人、柴ヲ折テ覆テ通リシヨリ名トナレリ」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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