志喜屋村(読み)しちやむら

日本歴史地名大系 「志喜屋村」の解説

志喜屋村
しちやむら

[現在地名]知念村志喜屋(しきや)

鉢嶺(はちんみ)村の南西に位置する。シチャと発音する。正保国絵図では地先の海域に「あときせ」(アドキ島)が描かれる。絵図郷村帳に知念(ちにん)間切内として「しきや村」とある。琉球国高究帳では「中里村」と合せて高頭二九一石余、このうち田一一六石余・畠一七四石余。里積記の諸村位定では田中・畠中。「大島筆記」に敷名とあるのが当村と考えられる。当村の地頭は康熙一三年(一六七四)より同一八年まで向氏九世の向応伯久高親雲上朝盛であった(向姓湧川家家譜)。乾隆五年(一七四〇)野村親雲上安孝が知名(ちなー)川・志喜屋川を改修、同一九年その弟安屋が志喜屋地頭になっている(毛姓小宗家家譜)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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