知念村(読み)ちねんそん

日本歴史地名大系 「知念村」の解説

知念村
ちねんそん

面積:九・七三平方キロ

沖縄島南部の東海岸に位置し、東から南は太平洋に臨み、北部は中城なかぐすく湾に面する。知念ちねん岬の東方海上にコマカ島、さらに東方に久高くだか島がある。また南部の志喜屋しきや漁港の南東約五〇〇メートルにアドキ島(面積〇・〇二平方キロ、標高一二メートル)、同じく東約一・五キロにタマタ島(面積〇・〇一平方キロ、標高五・四メートル)があり、いずれも無人島で琉球石灰岩からなるが、アドキ島は漁港の護岸工事により陸続きになっている。北から西にかけて佐敷さしき町・玉城たまぐすく村と接する。村域の形状は北から南に馬蹄形をなし、東部の須久名すくな(一四八・八メートル)から知念グスク、志喜屋グスクにかけては石灰岩丘陵が連なるが、この頂上部は比較的広い台地で、周縁部は断崖の傾斜地を形成する。崖下には湧水が多い。東部は島尻層群からなる保水力をもつ灰色のジャーガル土壌、西部は琉球石灰岩からなる地域で保水力の乏しい赤色の島尻マージ土壌。久高島は隆起サンゴ礁による琉球石灰岩からなる水の乏しい砂地の島。主要地方道の南風原はえばる―知念線が大里おおざと村・玉城村・佐敷町を経由して当村を通り、南部を周回する国道三三一号に結ばれる。


知念村
ちにんむら

[現在地名]知念村知念ちねん具志堅ぐしけん

現知念村域の中央部南寄りに位置し、南東部は海に臨む。「球陽」天孫氏の条によれば、知念に稲苗が生じて領民に初めて農事が興ったことから、国君は毎年四月知念に行幸し、稲穂祭で親拝したという。その場所は知念大ちにんうふ川の後ろで、アマミキョ(阿摩美久)が天から持帰ったと伝える(「中山世鑑」巻一)。しかし遠路であるため、康熙一二年(一六七三)旧制を改めて代参になっており、この頃は隔年となっている(「球陽」尚貞王五年条など)。また各地の門中が八―九月に行う東御廻りの拝所でもあり、その日撰は地頭官と南風大屋子らの次第によっていたが、康熙六年より公朝から題奏することとされた(同書尚質王二〇年条)。「おもろさうし」巻一八の三〇に「一 ちゑねんおわる わかきよ(知念におられる若い子〔神女〕)/やくめさよ(恐れ多い)/ふなこし こまらや(舟越に籠もろう)/又 さきにおわる わかきよ(崎におられる 若い子)」とある。知念崎を二分して対句にしている。また同書巻一九の三四に「一 ちゑねんあつめなに(知念集め庭に)/世うよりみちへれ(世〔豊穣〕を寄り満たせよ)/又 あさまあつめなに(安座真集め庭に)/又 けおのよかるひに(今日のよき日に)」とあり、集め庭で吉日を卜して豊穣を願う祭祀が行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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