忠見村(読み)ただみむら

日本歴史地名大系 「忠見村」の解説

忠見村
ただみむら

[現在地名]八女市忠見

黒土(くろつち)村の東、星野(ほしの)川右岸の扇状地にあり、中央部を山(やま)ノ井(い)川が流れる。福島(ふくしま)町と星野村(現星野村)方面に続く道が通る。文禄四年(一五九五)一二月の上妻郡内知行方目録写(筑紫家文書)に「川崎内忠見村」とみえ、高二三〇石余。本高は五二五石余(元禄国絵図)。元禄一六年(一七〇三)の竈数一一三、男二七三・女一九七、作馬一〇(「知行所品々書帳」有馬泰生家文書)。「在方諸覚書」では古高一千一五〇石・役高一千一九〇石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一千一九二石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田四八町六反余・開田一町余・畑三町余・居屋敷一一町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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