日本歴史地名大系 「八女市」の解説 八女市やめし 面積:三九・三四平方キロ県南部に位置し、筑後地方南部を占める。西は筑後市、北は八女郡広川(ひろかわ)町、東は同郡上陽(じようよう)町・黒木(くろぎ)町、南は矢部(やべ)川を挟んで同郡立花(たちばな)町および一部山門(やまと)郡瀬高(せたか)町に接する。東西約一一キロ・南北約七キロの東西に細長い市域。北東部は耳納(みのう)山地(水縄山地)南麓の小丘陵が延びる一帯で、八女丘陵とよばれ、筑後市から東の黒木方面まで続く。市の中央部は矢部川および星野(ほしの)川が形成した平坦な沖積平野が広がる。市の西部を九州自動車道が南北に縦断、また中央部を北西から南東に向かって国道三号、同じく東西に国道四四二号が通る。〔原始・古代〕当市域の考古遺跡については八女郡を参照。八女丘陵では八女古墳群と称される多数の古墳が造営され、うち六世紀前半の岩戸山(いわとやま)古墳は筑紫君磐井の墓とされている。現市域は律令制下では筑後国上妻(かみつま)郡に属し、「和名抄」に記す上妻郡の三宅(みやけ)郷が当市域に含まれると思われる。八女丘陵の麓一帯には条里遺構と考えられる整然とした水田区画がみられる。市域北東部の忠見(ただみ)地区の山中に八女古窯跡群という筑後地方を代表する窯跡があり、飛鳥時代から奈良時代にかけて須恵器の生産が盛んに行われた。東部の川崎(かわさき)地区にある城の谷(じようのたに)古墳では康治元年(一一四二)の紀年銘をもつ経筒が出土している。〔中世〕市域の大半は中部から東部にかけて広がる宇佐宮弥勒寺喜多(きた)院領の上妻(こうづま)庄が占め、開発領主は上妻氏である。上妻庄と同じ宇佐宮弥勒寺領でありながら別個の庄園として存在した河合(かわい)庄の開発領主は不明であるが、吉田(よしだ)庄と同様に上妻氏と対立した武士であったろう。太宰府天満宮領吉田庄の開発領主は、上妻氏と蒲原(かまはら)・次郎丸(じろうまる)名をめぐって争った吉田氏の一族であろう。このほか現広川町から筑後市に広がる天皇家領の広川庄の一部や、現矢部村・黒木町を中心とする庄園領主不明の河崎(かわさき)庄の一部が市域に含まれた。元弘三年(一三三三)五月、鎮西探題赤橋英時自害の翌日、上妻庄一分地頭宮野教心が大宰府原山(はらやま)(現太宰府市)にいた尊良親王のもとに馳せ参じ、建武二年(一三三五)には北条氏与党攻撃のため宮野寂意が大宰府に馳せ参じている。南北朝期に各庄園はおもに南朝方の武士によって侵食されていった。正平年間(一三四六―七〇)以降は矢部に本拠地を置いた南朝方の五条氏の勢力下にあり、五条氏は室町から戦国初期には肥後菊池氏に属しその支配が続いたが、のち大友氏に属した。 八女市やめし 2010年2月1日:八女市が八女郡黒木町・立花町・星野村・矢部村を編入⇒【星野村】福岡県:八女郡⇒【八女市】[変更地名]福岡県⇒【黒木町】福岡県:八女郡⇒【矢部村】福岡県:八女郡⇒【立花町】福岡県:八女郡 八女市やめし 2006年10月1日:八女市が八女郡上陽町を編入⇒【上陽町】福岡県:八女郡⇒【八女市】福岡県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八女市」の意味・わかりやすい解説 八女〔市〕やめ 福岡県南部,筑紫平野の南東部にある市。矢部川中・上流域を占め,南部は筑肥山地の北斜面に位置する。南で熊本県,東で大分県に接する。1954年福島町が川崎村,忠見村の 2村と岡山村の一部を編入して市制施行。2006年上陽町,2010年黒木町,立花町,矢部村,星野村の 4町村を編入。中心市街地である北西部の福島には天正15(1587)年筑紫広門が築城。慶長6(1601)年以降田中氏の城下町となったが,元和6(1620)年の田中氏改易,福島城廃城後は市場町として発展。街道沿いには当時の名残りが見られる町屋が建ち並び,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。久留米絣,仏壇,玩具,ちょうちん,和紙,竹細工などの伝統産業が盛ん。周辺農村部は水田が広く,米,野菜を産し,酪農,養豚も行なわれ,丘陵地ではミカン,ブドウ,ナシなど果樹,チャ(茶)の栽培が盛んで八女茶生産の中心地。山林では杉材,シイタケ,たけのこ,コンニャクを産する。忠見の和紙と電照菊,長野の石灯籠などは特産。福島八幡宮に奉納される灯籠人形は国指定重要無形民俗文化財。立花の松延家住宅は国の重要文化財,黒木のフジは天然記念物に指定。北西部の吉田には国の史跡の八女古墳群があり,なかでも岩戸山古墳,乗場古墳はともに前方後円墳で,前者は九州では有数の大きさといわれる。国道3号線,442号線が通り,九州自動車道の八女インターチェンジがある。面積 482.44km2。人口 6万0608(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by