日本歴史地名大系 「忠隈村」の解説 忠隈村ただくまむら 福岡県:嘉穂郡穂波町忠隈村[現在地名]穂波町忠隈嘉穂盆地のほぼ中央部に位置し、碇(いかり)川が村内の西部を流れる。南は南尾(みなみお)村、北東は嘉麻(かま)郡下三緒(しもみお)村(現飯塚市)。鎌倉時代初期と推定される弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「忠隈二十丁」とある。文和元年(一三五二)一一月には一色範氏勢と足利直冬・少弐頼尚勢が「椿・忠隈合戦」を行っている(同二年二月日「平河貞家軍忠状」平河文書/南北朝遺文(九州編)三など)。小早川時代の指出前之帳では忠熊(ただくま)村の田一八町一反余(分米二三四石余)・畠二町四反余(分大豆一二石余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by