忠隈炭鉱(読み)ただくまたんこう

日本歴史地名大系 「忠隈炭鉱」の解説

忠隈炭鉱
ただくまたんこう

現穂波町東部の忠隈一帯にあった炭鉱。炭質は粘結性を有し火力は強力、発熱量は六二〇〇―七〇〇〇カロリー程度。コークス原料および汽缶用として用いられ、八幡製鉄所(現北九州市八幡東区)原料炭として納炭されることもあった。当鉱の沿革は文政期(一八一八―三〇)の五尺炭層の発見を嚆矢とする。同一〇年頃忠隈村桐木きりのき谷で発見され採掘・販売されていた。さらに天保年間(一八三〇―四四)には三年間におよそ五〇〇万斤が採掘され、川によって芦屋あしや(現芦屋町)若松わかまつ(現北九州市若松区)方面へ販売された。文久三年(一八六三)頃には飯塚の山本文右衛門によって二、三年の採炭期間でおよそ一千五〇〇万斤が採掘された。採掘された石炭は生石のまま、あるいは石殻として販売されていたという。明治に入り当地方の住民らが字浦ノ谷(浦谷)ほか二ヵ所に借区を申請し、採掘を行った。明治一六年(一八八三)時点では字浦ノ谷において宮島次三郎が五〇〇坪と小規模の借区を所有している。また同年には麻生太吉も忠隈村字山王谷さんのうだにに借区を所有しており、これらが当鉱鉱区の嚆矢となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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