恋野村(読み)こいのむら

日本歴史地名大系 「恋野村」の解説

恋野村
こいのむら

[現在地名]橋本市恋野

赤塚あかつか村の東、紀ノ川左岸の河岸段丘から南の丘陵地にかけて位置し、東は大和国宇智うち火打野ひうちの(現奈良県五條市)中世隅田すだ庄に属し、仁安元年(一一六六)一一月日付の公文藤原忠村田畠等処分状案(隅田家文書)には「河南小犬坪一処」とある。慶長検地高目録には「恋野村」とみえ、村高三二六石余、小物成一・二三六石。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では家数四二(本役九・庄屋四・肝煎二など)、人数一六九、馬二、牛一〇、小物成は紙木二八束余、桑三束、茶三一斤余。雲雀福王ふくおう(真言宗御室派)があり、貞享元年(一六八四)の恋野村堂座講記録(芋生家文書)によると、一七戸の家が正月五日に福王寺に参集して本尊阿弥陀如来の前で堂座講を営み、僧の牛王加持を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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