不動明王(読み)ふどうみょうおう

精選版 日本国語大辞典 「不動明王」の意味・読み・例文・類語

ふどう‐みょうおう ‥ミャウワウ【不動明王】

(「不動」はAcalanātha訳語) 仏語。五大明王・八大明王の一つで、その主尊。大日如来が、いっさいの悪魔・煩悩降伏させるために化現した教令(きょうりょう)輪身で、忿怒の相をとる。形相は色青黒く獰悪(どうあく)で、眼を怒らし、左は半眼、額に水波の相があり、右牙を上、左牙を外に出す。また右に降魔の剣を、左に羂索(けんさく)を持ち、火焔光背を背に岩上または瑟瑟座(しつしつざ)に座している。眷属として矜羯羅(こんがら)制吒迦(せいたか)など八大童子をもつ。種々の煩悩・障害を焼き払い、悪魔を降伏して行者を擁護し、菩提を成就させ、長寿を得させるという。日本では平安初期の密教盛行とともに尊崇され、今日に至る。不動尊。不動。〔大日本国法華経験記(1040‐44)〕 〔大日経疏‐一〇〕

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デジタル大辞泉 「不動明王」の意味・読み・例文・類語

ふどう‐みょうおう〔‐ミヤウワウ〕【不動明王】

《〈梵〉Acalanāthaの訳》五大明王八大明王の主尊。大日如来の命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩ぼんのうを断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる。右手利剣左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、怒りの形相に表す。両眼を開いたものと左眼を半眼にしたものとあり、きばを出す。制吒迦せいたか矜羯羅こんがらの二童子を従えた三尊形式が多い。不動尊。無動尊

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「不動明王」の意味・わかりやすい解説

不動明王
ふどうみょうおう

ヒンドゥー教のシバ神の異名で、アチャラナータAcalanātaといい、漢音で阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)とあてる。アチャラは無動尊の意。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像で、密教では行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降(くだ)し、衆生(しゅじょう)を守る。五大明王、八大明王では中央に位置する主尊。709年(中国の景竜3)に訳出された菩提流支(ぼだいるし)訳『不空羂索神変真言経(ふくうけんさくじんべんしんごんきょう)』第9巻によると、右手に剣を持ち、左手に索(縄)を持つ不動使者としての所説を初出とする。しかし図像化の原型となったものは、725年(開元13)の善無畏(ぜんむい)訳『大日経(だいにちきょう)』の所説「不動如来使者は慧刀(えとう)、羂索を持ち、頂髪が左肩に垂れ、〔目は〕一目(いちもく)にして明らかに見、威怒身(いぬしん)で猛炎あり。磐石(ばんじゃく)上に安住し、額に水波の相があり、充満した童子形もある」による。不動明王像は9世紀初め空海によりわが国に伝えられたが、不動信仰が盛んになったのは円珍(えんちん)以降である。円珍自身も金人(きんじん)といわれる黄不動を感得し、また図像も請来(しょうらい)した。不動明王の図像は火生三昧(かしょうざんまい)(火の燃えるような境地)に入った状態を表現したもので、いっさいの罪障を摧破(さいは)し、動揺しないので、姿勢は不動を表す。不動明王を中心に矜迦羅(こんがら)・制吒迦(せいたか)童子を脇侍(わきじ)に配した三尊形式が多く、坐像(ざぞう)・立像とも一面二臂(にひ)像が主流。一面四臂像などの異形も図像(『図像抄』『覚禅(かくぜん)抄』など)として伝わっている。形像については、淳祐(しゅんにゅう)(890―953)の著『要尊道場観』によると、不動明王像には、十九観(十九想観ともいう)が表現されていると説く。(1)大日如来の化身。(2)明(みょう)(真言)のなかにアa、ロro、ハームhām、マームmāmの四字がある。(3)火生三昧に住する。(4)童子形で肥満。(5)頂に七莎髻(しちしゃけい)がある。(6)左に弁髪(べんぱつ)あり。(7)額に皺文(しゅうもん)あり。(8)左目を閉じ、右目を開く。(9)下歯、上の右唇を噛(か)み、下の左唇、外に翻じて生ずる。(10)その口を閉じる。(11)右手に剣をとる。(12)左手に索を持つ。(13)行人の残食を喫す。(14)大磐石に坐(ざ)す。(15)色醜くして青黒い。(16)奮迅忿怒する。(17)遍身に迦楼羅(かるら)炎がある。(18)変じて倶利迦羅(くりから)となり、剣を繞(めぐ)る。(19)変じて二童子となり、行人に給仕する。一を矜迦(こんが)羅、二を制吒迦という。十九観は『大日経』と『大日経疏(しょ)』によってつくられたという。

 不動明王図像の変容は、鎌倉時代になると、信海(しんかい)様とよぶ剣をついて岩に休止する像や、走り不動のように剣を担ぐ像など全身が動的になる。忿怒の表現では、大師請来様では両眼を見開き、二牙を上あるいは下に(同方向に)突出するが、その図像が彫刻・絵画でも守られている。しかし時代が下ると、半眼半開(いわゆるすが目斜視)が多くなる。不動明王の宝剣は倶利迦羅竜(くりからりゅう)王がまとい付いたもので、『倶利迦羅竜王経』(『大正蔵経』所収、第21巻)に所説があり、石山寺に平安期の図像が伝存している。明王が念じる功徳(くどく)力により竜を駆使し、またその化身として三昧耶形である。

 作例では三大不動の画像として青不動(青蓮(しょうれん)院、国宝)、黄不動(園城(おんじょう)寺、国宝)、赤不動(高野山(こうやさん)明王(みょうおう)院、国重文)が有名。不動法(息災・増益の修法)の本尊、また国家の安泰を祈る安鎮法として、成田山不動、目黒不動など全国に流布している。彫刻では教王護国寺(東寺)講堂、御影(みえい)堂の木造が最古の部類に属する。高野山の正智(しょうち)院の木彫は豊かな量感のある坐像として知られ、また南院の波切(なみきり)不動は空海帰朝の際守護したと伝える像として有名。鎌倉期に傑作が多く、快慶作の逸品が醍醐(だいご)寺にある。また不動明王を中尊に配置する仁王経曼荼羅(にんのうきょうまんだら)、安鎮曼荼羅があり、尊勝・弥勒(みろく)曼荼羅では下辺に描かれる。眷属(けんぞく)として八大童子を伴った不動八大童子も高野山(金剛峯寺(こんごうぶじ))に伝存する。

[真鍋俊照]

『渡辺照宏著『不動明王』(1975・朝日新聞社)』

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百科事典マイペディア 「不動明王」の意味・わかりやすい解説

不動明王【ふどうみょうおう】

仏教守護の明王。無動尊・無動使者・不動尊とも。《大日経》では明王中の最高とされる。その起源はシバ神に関係ありとされるが未詳。忿怒(ふんぬ)の姿で火焔の中にあり,右手に剣,左手に索縄を持ち,心の内外の悪魔をはらう。チベット,中国でも信仰されるが,日本では観音・地蔵と並んで広く信仰され,不動明王を本尊とする新勝寺などの大伽藍(がらん)も建てられた。尊像(青不動赤不動黄不動など),曼荼羅(まんだら)も多い。
→関連項目康尚宅磨栄賀明王

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「不動明王」の意味・わかりやすい解説

不動明王
ふどうみょうおう
Acala

サンスクリット語のアカラ (ヒンドゥー教のシバ神の名,音写「阿遮羅」) を漢訳し,五大明王や八大明王の主尊として造形化されたもの。不動,不動尊などと略称する。密教で信仰される明王で,大日如来が衆生を教化する際に,通常の姿のままでは教化できないので忿怒相をもって現れたもの。火生三昧に住んで,内外の障害や種々のけがれを焼き尽し,すべての悪魔や敵を撃滅し,行者を守護するとともにその菩薩を成就させる。その姿は一般に,片目あるいは両目を見開き,牙を出し,下の歯で上唇を噛む忿怒相を示し,頭の頂には七髻 (けい) があり,左肩には弁髪の一端を垂らし,左手に羂索 (けんさく) ,右手に利剣をとり,大火炎を背負って大磐石座の上に坐す。また眷属として八大童子を従え,不動三尊の場合はそのうちの矜羯羅 (こんがら) と制た迦 (せいたか) の2童子を脇侍とする。9世紀の初め密教とともに日本に伝えられてから盛んに信仰され,平安時代初期から江戸時代までその遺品をみることができる。教王護国寺講堂の『不動明王像』および同寺八幡の像などは平安時代初期の遺品で,密教彫刻にふさわしい優品。藤原時代には激しさを減じ,京都同聚院や般舟院の坐像などはその代表的なもの。鎌倉時代の静岡願成就院の運慶作『不動三尊像』は同時代の代表作。なお画像では滋賀園城寺の『黄不動』,和歌山明王院の『赤不動』,京都青蓮院の『青不動』がよく知られ,いずれも平安時代のものである。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「不動明王」の解説

不動明王
ふどうみょうおう

五大明王・八大明王の一つ。サンスクリットのアチャラナータの訳で,不動威怒明王・聖無動尊・不動尊などと称する。大日如来の使者の教令輪身(きょうりょうりんじん)として,種々の悪や煩悩を降伏(ごうぶく)させるために忿怒(ふんぬ)の相を表し,牙をむいて,背に火炎を負う。右手に降魔(ごうま)の剣を,左手に羂索(けんじゃく)をもつ一面二臂(ひ)像が多いが,四面四臂や四面六臂もある。眷属(けんぞく)として,矜羯羅(こんがら)童子や制吒迦(せいたか)童子などの八大金剛童子がある。密教修法の一つである不動法の主尊として,平安時代以降盛んに用いられ,多くの不動尊像が描かれ,また造られた。彫刻では高野山南院の波切不動(重文)が有名。絵画では,園城(おんじょう)寺の「黄不動」(国宝),高野山明王院の「赤不動」(重文),青蓮院(しょうれんいん)の「青不動」(国宝)などが有名。

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世界大百科事典 第2版 「不動明王」の意味・わかりやすい解説

ふどうみょうおう【不動明王】

サンスクリット名アチャラナータAcalanāthaの漢訳で,発音に従い阿遮羅囊他と記す場合もあるが,不動金剛明王,不動尊,無動尊,不動使者,無動使者とも訳す。もとはインド教のシバ神の異名で,仏教はこれを大日如来の使者としてとり入れた。如来の命を受けて忿怒の相を表し,密教の修行者を守護し助けて諸種の障害を除き,魔衆を滅ぼして修行を成就させる尊像とした。形像は,右手に剣,左手に羂索(けんさく)を持ち,青黒色の全身に火焰を負う姿が一般的である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「不動明王」の解説

不動明王 ふどうみょうおう

密教の明王。
大日如来の化身として,すべての悪と煩悩をおさえしずめ,生あるものをすくう。忿怒(ふんぬ)相で,右手に悪をたちきる剣を,左手に救済の索をもち,ふつう火炎を背負う。日本では平安時代初期からひろく信仰され,現在もつづいている。五大明王のひとつで,中央に位置する。不動尊ともいう。

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世界大百科事典内の不動明王の言及

【縁日】より

…7月16日は閻魔王の大斎日(だいさいにち)とも称し,地獄信仰と盆行事とが習合している。不動明王は,大日如来の使者として,密教系寺院や,修験道の守護神としてまつられたが,毎月28日が縁日,初不動は参詣者が多い。虚空蔵は,毎月13日が縁日で,4月13日(旧3月13日)を十三参りと称し,13歳の女子の参詣が多い。…

【八大童子】より

不動明王につき従う8人の童子。八大金剛童子ともいう。…

※「不動明王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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