精選版 日本国語大辞典 「不動明王」の意味・読み・例文・類語
ふどう‐みょうおう ‥ミャウワウ【不動明王】

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ヒンドゥー教のシバ神の異名で、アチャラナータAcalanātaといい、漢音で阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)とあてる。アチャラは無動尊の意。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像で、密教では行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降(くだ)し、衆生(しゅじょう)を守る。五大明王、八大明王では中央に位置する主尊。709年(中国の景竜3)に訳出された菩提流支(ぼだいるし)訳『不空羂索神変真言経(ふくうけんさくじんべんしんごんきょう)』第9巻によると、右手に剣を持ち、左手に索(縄)を持つ不動使者としての所説を初出とする。しかし図像化の原型となったものは、725年(開元13)の善無畏(ぜんむい)訳『大日経(だいにちきょう)』の所説「不動如来使者は慧刀(えとう)、羂索を持ち、頂髪が左肩に垂れ、〔目は〕一目(いちもく)にして明らかに見、威怒身(いぬしん)で猛炎あり。磐石(ばんじゃく)上に安住し、額に水波の相があり、充満した童子形もある」による。不動明王像は9世紀初め空海によりわが国に伝えられたが、不動信仰が盛んになったのは円珍(えんちん)以降である。円珍自身も金人(きんじん)といわれる黄不動を感得し、また図像も請来(しょうらい)した。不動明王の図像は火生三昧(かしょうざんまい)(火の燃えるような境地)に入った状態を表現したもので、いっさいの罪障を摧破(さいは)し、動揺しないので、姿勢は不動を表す。不動明王を中心に矜迦羅(こんがら)・制吒迦(せいたか)童子を脇侍(わきじ)に配した三尊形式が多く、坐像(ざぞう)・立像とも一面二臂(にひ)像が主流。一面四臂像などの異形も図像(『図像抄』『覚禅(かくぜん)抄』など)として伝わっている。形像については、淳祐(しゅんにゅう)(890―953)の著『要尊道場観』によると、不動明王像には、十九観(十九想観ともいう)が表現されていると説く。(1)大日如来の化身。(2)明(みょう)(真言)のなかにアa、ロro、ハームhām、マームmāmの四字がある。(3)火生三昧に住する。(4)童子形で肥満。(5)頂に七莎髻(しちしゃけい)がある。(6)左に弁髪(べんぱつ)あり。(7)額に皺文(しゅうもん)あり。(8)左目を閉じ、右目を開く。(9)下歯、上の右唇を噛(か)み、下の左唇、外に翻じて生ずる。(10)その口を閉じる。(11)右手に剣をとる。(12)左手に索を持つ。(13)行人の残食を喫す。(14)大磐石に坐(ざ)す。(15)色醜くして青黒い。(16)奮迅忿怒する。(17)遍身に迦楼羅(かるら)炎がある。(18)変じて倶利迦羅(くりから)となり、剣を繞(めぐ)る。(19)変じて二童子となり、行人に給仕する。一を矜迦(こんが)羅、二を制吒迦という。十九観は『大日経』と『大日経疏(しょ)』によってつくられたという。
不動明王図像の変容は、鎌倉時代になると、信海(しんかい)様とよぶ剣をついて岩に休止する像や、走り不動のように剣を担ぐ像など全身が動的になる。忿怒の表現では、大師請来様では両眼を見開き、二牙を上あるいは下に(同方向に)突出するが、その図像が彫刻・絵画でも守られている。しかし時代が下ると、半眼半開(いわゆるすが目斜視)が多くなる。不動明王の宝剣は倶利迦羅竜(くりからりゅう)王がまとい付いたもので、『倶利迦羅竜王経』(『大正蔵経』所収、第21巻)に所説があり、石山寺に平安期の図像が伝存している。明王が念じる功徳(くどく)力により竜を駆使し、またその化身として三昧耶形である。
作例では三大不動の画像として青不動(青蓮(しょうれん)院、国宝)、黄不動(園城(おんじょう)寺、国宝)、赤不動(高野山(こうやさん)明王(みょうおう)院、国重文)が有名。不動法(息災・増益の修法)の本尊、また国家の安泰を祈る安鎮法として、成田山不動、目黒不動など全国に流布している。彫刻では教王護国寺(東寺)講堂、御影(みえい)堂の木造が最古の部類に属する。高野山の正智(しょうち)院の木彫は豊かな量感のある坐像として知られ、また南院の波切(なみきり)不動は空海帰朝の際守護したと伝える像として有名。鎌倉期に傑作が多く、快慶作の逸品が醍醐(だいご)寺にある。また不動明王を中尊に配置する仁王経曼荼羅(にんのうきょうまんだら)、安鎮曼荼羅があり、尊勝・弥勒(みろく)曼荼羅では下辺に描かれる。眷属(けんぞく)として八大童子を伴った不動八大童子も高野山(金剛峯寺(こんごうぶじ))に伝存する。
[真鍋俊照]
『渡辺照宏著『不動明王』(1975・朝日新聞社)』
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五大明王・八大明王の一つ。サンスクリットのアチャラナータの訳で,不動威怒明王・聖無動尊・不動尊などと称する。大日如来の使者の教令輪身(きょうりょうりんじん)として,種々の悪や煩悩を降伏(ごうぶく)させるために忿怒(ふんぬ)の相を表し,牙をむいて,背に火炎を負う。右手に降魔(ごうま)の剣を,左手に羂索(けんじゃく)をもつ一面二臂(ひ)像が多いが,四面四臂や四面六臂もある。眷属(けんぞく)として,矜羯羅(こんがら)童子や制吒迦(せいたか)童子などの八大金剛童子がある。密教修法の一つである不動法の主尊として,平安時代以降盛んに用いられ,多くの不動尊像が描かれ,また造られた。彫刻では高野山南院の波切不動(重文)が有名。絵画では,園城(おんじょう)寺の「黄不動」(国宝),高野山明王院の「赤不動」(重文),青蓮院(しょうれんいん)の「青不動」(国宝)などが有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…7月16日は閻魔王の大斎日(だいさいにち)とも称し,地獄信仰と盆行事とが習合している。不動明王は,大日如来の使者として,密教系寺院や,修験道の守護神としてまつられたが,毎月28日が縁日,初不動は参詣者が多い。虚空蔵は,毎月13日が縁日で,4月13日(旧3月13日)を十三参りと称し,13歳の女子の参詣が多い。…
…不動明王につき従う8人の童子。八大金剛童子ともいう。…
※「不動明王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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