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中将姫 ちゅうじょうひめ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中将姫
ちゅうじょうひめ

大和当麻 (たいま) 寺の縁起に現れる伝説上の女性。『当麻曼荼羅縁起絵巻』『古今著聞集』にみえる。横佩 (よこはぎ) の大臣藤原豊成の娘で,継母照手前 (てるてのまえ) に苦しめられ,当麻寺に入って尼となり,ここで蓮糸による曼荼羅 (まんだら) を織ったという。のち中将姫の伝説を主題とした能,浄瑠璃などが盛んに作られた。

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デジタル大辞泉の解説

ちゅうじょう‐ひめ〔チユウジヤウ‐〕【中将姫】

日本の伝説上の人物。右大臣藤原豊成の娘。父の左遷を悲しみ、大和当麻(たいま)寺に入って尼となり、仏行に励んだ徳により仏の助けを得て、一夜のうちに蓮(はす)の茎の糸で観無量寿経曼荼羅(まんだら)を織ったとされる。謡曲当麻(たえま)」ほか、浄瑠璃・歌舞伎に取り上げられている。

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百科事典マイペディアの解説

中将姫【ちゅうじょうひめ】

《元亨釈書》《古今著聞集》などに見える伝説上の女性。右大臣藤原豊成の娘で,天平年間に当麻(たいま)寺に入り,蓮糸(はすいと)で曼荼羅(まんだら)(当麻曼荼羅)を織り,女人ながら浄土に招かれて成仏したという。絵巻《当麻曼荼羅縁起》,奈良絵本《中しやうひめ》,御伽草子の《中将姫御本地》などがあり,謡曲《雲雀(ひばり)山》《当麻》,浄瑠璃《鷓山(ひばりやま)姫捨松》,歌舞伎《雲雀山駒絆松樹(こまつなぎまつ)》などの素材となっている。
→関連項目曼陀羅寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中将姫 ちゅうじょうひめ

伝説上の女性。
大和(奈良県)当麻(たいま)寺につたわる当麻曼荼羅(まんだら)の縁起によると,天平宝字(てんぴょうほうじ)7年(763)出家して同寺にはいり,法如尼と称した。観音の化身にたすけられて蓮(はす)の糸で曼荼羅をおりあげ,極楽往生をとげたという。この説話説経節,浄瑠璃(じょうるり)などの題材となってひろまった。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中将姫

当麻曼荼羅の発願者と伝えられる女性。尼となって当麻寺(奈良県北葛城郡)に入り,阿弥陀如来と観音菩薩の助けで曼荼羅を織りあげ,その功徳によって往生を遂げたという。鎌倉時代の当麻寺の縁起『当麻寺流記』には「横佩右大臣尹統息女字中将」とあり,中将局,中将内侍などと記す縁起もあるが,室町時代には藤原豊成の娘・中将姫という形に定着し,それとともに,中将姫の伝記を詳しく叙述する物語が曼荼羅の縁起に付加されるようになる。曼荼羅講説のテキストである『当麻曼荼羅疏』(1436)には,長谷観音の申し子として生まれた中将姫が母と死別し,継母に憎まれて捨てられ,やがて父の豊成と再会し,内裏に入るが,后に迎えられる直前に無常を悟って当麻寺に入る,という物語が記されている。これを絵画化したのが『当麻曼荼羅縁起絵巻』(1532)であり,中世浄土教各派は,絵解きなどにより念仏を唱導した。特に西山派の祖・証空は『当麻曼荼羅注』10巻を著し,曼荼羅を転写して全国に広めたといわれている。 継子の受難と救済という中世の語り物や物語草子の形式が絵解きに用いられたのは,当麻曼荼羅が依拠する『観無量寿経』の韋提希夫人の受難と仏による救済の説話を,中将姫に重ね合わせて翻案した結果であると思われる。継子譚は中世の寺社縁起に広く用いられた形式であるが,やがてこのモチーフを中心にした中将姫の物語群が次々と生み出されるようになる。能の「雲雀山」,お伽草子の「中将姫の本地」などは,姫を助ける武士やその妻の活躍,父豊成と姫との出会いをさまざまな趣向で脚色し,説教節「中将姫御本地」,古浄瑠璃「中将姫之御本地」などの近世芸能の世界に受け継がれていく。このように,中世から近世にかけて中将姫の物語は,当麻寺の縁起譚から離脱し,中将姫というある女性の物語へと変貌し,苦難と救済の物語として多くの人々に享受され,新たな物語を生み出す祖型となっていったのである。<参考文献>元興寺文化財研究所『中将姫説話の調査研究報告書』

(小松和彦)

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうじょうひめ【中将姫】

当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母の讒言(ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。後年,雲雀山での狩りの途次,偶然姫を見いだした豊成は,姫との再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美しさであったが,仏道への志深く,ひそかに館を抜け出して大和の当麻寺に入って尼となる。

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大辞林 第三版の解説

ちゅうじょうひめ【中将姫】

伝説上の人物。継母に憎まれて大和雲雀ひばり山に捨てられ、当麻たいま寺に入ってハスの糸で曼荼羅まんだらを織り成仏したという。能・浄瑠璃・歌舞伎に脚色。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中将姫
ちゅうじょうひめ

奈良當麻(たいま)寺に伝存する曼荼羅(まんだら)を織ったと伝える伝説上の女性。横佩(よこはぎ)右大臣豊成(とよなり)の娘であった姫は、仏を敬う心が厚く、剃髪(ていはつ)して當麻寺に入り、阿弥陀仏(あみだぶつ)や観音の化身である比丘尼(びくに)などの助力を得て、蓮(はす)の糸で1丈5尺の曼荼羅を織り、やがて諸仏の来迎(らいごう)を受けて極楽に往生した。これと同系の伝説は、『諸寺縁起集』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』『私聚(しじゅ)百因縁集』『元亨(げんこう)釈書』などのほかに、御伽草子(おとぎぞうし)『中将姫本地』や謡曲『当麻』『雲雀山(ひばりやま)』にもあり、また當麻曼荼羅を用いた絵解き説教にもこの伝説はしばしば語られたらしいことがわかる。ただ、他の類話では伝説の冒頭が継子譚(ままこたん)に変わっていたり、中将姫の名が別名であったりして、曼荼羅を織る部分を除いては多様に変化している。巫女(みこ)的な女性唱導者が姫に仮託して、この伝説を広めたことも考えられる。[渡邊昭五]

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