当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母の讒言(ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。後年,雲雀山での狩りの途次,偶然姫を見いだした豊成は,姫との再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美しさであったが,仏道への志深く,ひそかに館を抜け出して大和の当麻寺に入って尼となる。やがて阿弥陀如来と観音菩薩の助力のもとに蓮糸で曼荼羅を仕上げ,女人ながら浄土に招かれて成仏するというのが筋である。中将姫についての伝本は,奈良絵本の《中しやうひめ》,御伽草子の《中将姫御本地》(1651),古浄瑠璃の《中将姫之御本地》(1669),説経の《中将姫御本地》などがある。各種の伝本は,中将姫のやさしさと浄土往生への憧憬の強さをそれなりにあらわしているが,絵巻《当麻曼荼羅縁起》は,姫の浄土への希求を視覚化したものとして注目される。
執筆者:岩崎 武夫
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奈良當麻(たいま)寺に伝存する曼荼羅(まんだら)を織ったと伝える伝説上の女性。横佩(よこはぎ)右大臣豊成(とよなり)の娘であった姫は、仏を敬う心が厚く、剃髪(ていはつ)して當麻寺に入り、阿弥陀仏(あみだぶつ)や観音の化身である比丘尼(びくに)などの助力を得て、蓮(はす)の糸で1丈5尺の曼荼羅を織り、やがて諸仏の来迎(らいごう)を受けて極楽に往生した。これと同系の伝説は、『諸寺縁起集』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』『私聚(しじゅ)百因縁集』『元亨(げんこう)釈書』などのほかに、御伽草子(おとぎぞうし)『中将姫本地』や謡曲『当麻』『雲雀山(ひばりやま)』にもあり、また當麻曼荼羅を用いた絵解き説教にもこの伝説はしばしば語られたらしいことがわかる。ただ、他の類話では伝説の冒頭が継子譚(ままこたん)に変わっていたり、中将姫の名が別名であったりして、曼荼羅を織る部分を除いては多様に変化している。巫女(みこ)的な女性唱導者が姫に仮託して、この伝説を広めたことも考えられる。
[渡邊昭五]
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…並木宗輔作。通称《中将姫》。1740年(元文5)2月大坂豊竹座初演。…
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