中将姫(読み)チュウジョウヒメ

デジタル大辞泉 「中将姫」の意味・読み・例文・類語

ちゅうじょう‐ひめ〔チユウジヤウ‐〕【中将姫】

日本の伝説上の人物。右大臣藤原豊成の娘。父の左遷を悲しみ、大和当麻たいまに入って尼となり、仏行に励んだ徳により仏の助けを得て、一夜のうちにはすの茎の糸で観無量寿経曼荼羅まんだらを織ったとされる。謡曲当麻たえまほか浄瑠璃歌舞伎に取り上げられている。

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精選版 日本国語大辞典 「中将姫」の意味・読み・例文・類語

ちゅうじょう‐ひめチュウジャウ‥【中将姫】

  1. [ 一 ] 奈良当麻(たいま)寺に伝わる曼荼羅を織ったとされる伝説上の女性。横佩(よこはき)の大臣・藤原豊成の娘。天平年間(七二九‐七四九当麻寺に入山し仏行に励んだ姫は、その徳により仏に会い、一晩のうちに蓮華の糸で曼荼羅を織りあげ、極楽往生したと伝えられる。姫の出家の動機を後妻による継子虐待の物語とした歌舞伎、浄瑠璃、謡曲などが知られる。
  2. [ 二 ] 浄瑠璃「鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてまつ)」の通称。

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改訂新版 世界大百科事典 「中将姫」の意味・わかりやすい解説

中将姫 (ちゅうじょうひめ)

当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母讒言ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。後年,雲雀山での狩りの途次,偶然姫を見いだした豊成は,姫との再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美しさであったが,仏道への志深く,ひそかに館を抜け出して大和の当麻寺に入って尼となる。やがて阿弥陀如来観音菩薩の助力のもとに蓮糸で曼荼羅を仕上げ,女人ながら浄土に招かれて成仏するというのが筋である。中将姫についての伝本は,奈良絵本の《中しやうひめ》,御伽草子の《中将姫御本地》(1651),古浄瑠璃の《中将姫之御本地》(1669),説経の《中将姫御本地》などがある。各種の伝本は,中将姫のやさしさと浄土往生への憧憬の強さをそれなりにあらわしているが,絵巻当麻曼荼羅縁起》は,姫の浄土への希求を視覚化したものとして注目される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中将姫」の意味・わかりやすい解説

中将姫
ちゅうじょうひめ

奈良當麻(たいま)寺に伝存する曼荼羅(まんだら)を織ったと伝える伝説上の女性。横佩(よこはぎ)右大臣豊成(とよなり)の娘であった姫は、仏を敬う心が厚く、剃髪(ていはつ)して當麻寺に入り、阿弥陀仏(あみだぶつ)や観音の化身である比丘尼(びくに)などの助力を得て、蓮(はす)の糸で1丈5尺の曼荼羅を織り、やがて諸仏の来迎(らいごう)を受けて極楽に往生した。これと同系の伝説は、『諸寺縁起集』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』『私聚(しじゅ)百因縁集』『元亨(げんこう)釈書』などのほかに、御伽草子(おとぎぞうし)『中将姫本地』や謡曲『当麻』『雲雀山(ひばりやま)』にもあり、また當麻曼荼羅を用いた絵解き説教にもこの伝説はしばしば語られたらしいことがわかる。ただ、他の類話では伝説の冒頭が継子譚(ままこたん)に変わっていたり、中将姫の名が別名であったりして、曼荼羅を織る部分を除いては多様に変化している。巫女(みこ)的な女性唱導者が姫に仮託して、この伝説を広めたことも考えられる。

[渡邊昭五]

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百科事典マイペディア 「中将姫」の意味・わかりやすい解説

中将姫【ちゅうじょうひめ】

《元亨釈書》《古今著聞集》などに見える伝説上の女性。右大臣藤原豊成の娘で,天平年間に当麻(たいま)寺に入り,蓮糸(はすいと)で曼荼羅(まんだら)(当麻曼荼羅)を織り,女人ながら浄土に招かれて成仏したという。絵巻《当麻曼荼羅縁起》,奈良絵本《中しやうひめ》,御伽草子の《中将姫御本地》などがあり,謡曲《雲雀(ひばり)山》《当麻》,浄瑠璃《鷓山(ひばりやま)姫捨松》,歌舞伎《雲雀山駒絆松樹(こまつなぎまつ)》などの素材となっている。
→関連項目曼陀羅寺

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中将姫」の意味・わかりやすい解説

中将姫
ちゅうじょうひめ

大和当麻 (たいま) 寺の縁起に現れる伝説上の女性。『当麻曼荼羅縁起絵巻』『古今著聞集』にみえる。横佩 (よこはぎ) の大臣藤原豊成の娘で,継母照手前 (てるてのまえ) に苦しめられ,当麻寺に入って尼となり,ここで蓮糸による曼荼羅 (まんだら) を織ったという。のち中将姫の伝説を主題とした能,浄瑠璃などが盛んに作られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中将姫」の解説

中将姫 ちゅうじょうひめ

伝説上の女性。
大和(奈良県)当麻(たいま)寺につたわる当麻曼荼羅(まんだら)の縁起によると,天平宝字(てんぴょうほうじ)7年(763)出家して同寺にはいり,法如尼と称した。観音の化身にたすけられて蓮(はす)の糸で曼荼羅をおりあげ,極楽往生をとげたという。この説話は説経節,浄瑠璃(じょうるり)などの題材となってひろまった。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「中将姫」の解説

中将姫
(通称)
ちゅうじょうひめ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
当麻中将姫曼陀羅の由来 など
初演
元禄10.3(大坂・荒木与次兵衛座)

中将姫
ちゅうじょうひめ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
貞享3.1(大坂・荒木座)

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世界大百科事典(旧版)内の中将姫の言及

【鶊山姫捨松】より

並木宗輔作。通称《中将姫》。1740年(元文5)2月大坂豊竹座初演。…

※「中将姫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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