日本歴史地名大系 「意悲郷」の解説 意悲郷おいごう 富山県:越中国礪波郡意悲郷「和名抄」所載の郷。諸本に訓は記されず、また同名の郷は全国的にも例がない。ただし、「意」字は出雲国の意宇(おう)郡、三河国幡豆(はず)郡の意太(おた)郷、下総国相馬(そうま)郡の意部(おう)郷などにあり、「悲」字の用字はみられないが、延喜一〇年(九一〇)頃の越中国官倉納穀交替帳(石山寺蔵)には、川上(かわかみ)村とともに意斐(おい)村が記載されており、「斐」字は甲斐国や陸奥国江刺(えさし)郡の甲斐郷などにみえる。意悲の訓については、神護景雲元年(七六七)一一月一六日の礪波郡井山村墾田地図(正倉院蔵)のなかに、礪波郡二七条高槐東里の四行三山田(やまだ)の地に「小井郷戸主蝮部三□戸治田二段百廿歩」と記されており、この小井が「和名抄」の意悲を表記したものとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報