慧皎(読み)えこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「慧皎」の意味・わかりやすい解説

慧皎
えこう
(497―554)

中国、梁(りょう)代の僧。会稽上虞(かいけいじょうぐ)(浙江(せっこう)省紹興(しょうこう))の人。学は内外に通じ広く経律(きょうりつ)を究めた。会稽の嘉祥寺(かじょうじ)に住し、春夏には仏法を広め、秋冬には著述に専念し、『涅槃経疏(ねはんぎょうしょ)』10巻、『梵網(ぼんもう)経疏』などを撰(せん)した。また519年(天監18)に『高僧伝』14巻を著した。これは、先に成立した宝唱(ほうしょう)の『名僧伝』などに拠(よ)りつつも、その不備を改めようとしたもので、後世の僧伝の範となり、中国仏教史のもっとも信頼すべき資料である。梁末の侯景(こうけい)の乱を避けて、553年(承聖2)に湓城(ぼんじょう)(江西省九江(きゅうこう)市)にきて、翌554年58歳で入寂した。

[伊藤隆寿 2017年1月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の慧皎の言及

【仏教】より


[高僧伝の成立]
 いったい,中国仏教史の資料といえば,3種の《高僧伝》によるのが一般である。第1は,梁の会稽嘉祥寺の僧慧皎(えこう)が,519年(天監18)に編する《高僧伝》13巻で,後漢より梁にいたる450年,501人(本伝257,付伝244)の仏教者の列伝である。第2は,唐の道宣がこれをうけ,645年(貞観19)にいったん完成,自分の死の年に至るまで加筆する《続高僧伝》30巻である。…

【高僧伝】より

…中国をはじめ,朝鮮,日本における仏教の高僧たちの伝記集。最初に編纂されたのは,中国の南朝梁の慧皎(けいこう)撰《高僧伝》14巻で,中国への仏教の伝来当初から6世紀初の梁の武帝のころまでの高僧たちの列伝とも称すべき序録1巻と本文13巻の書物である。同時代の僧佑の《出三蔵記集》や宝唱の《名僧伝》などに資料を仰いで撰述し,519年(天監18)に完成したという。…

※「慧皎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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