デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慶宝尼」の解説 慶宝尼 けいほうに ?-? 織豊時代の尼僧。天正(てんしょう)12年(1584)羽柴秀吉軍は,伊勢(いせ)(三重県)松島城にこもる織田信雄側の滝川雄利(かつとし)軍をかこみ,飢え死に寸前に追いつめた。慶宝尼は雄利が亡夫の旧主だったことから再三秀吉にうったえ,包囲を解かせたという。俗姓は星合。法名は慶法ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「慶宝尼」の解説 慶宝尼 生年:生没年不詳 安土桃山時代の武家の女性。慶法尼とも。星合左衛門尉の娘。夫は武将滝川氏の家臣であったが,17歳で死別し剃髪。天正12(1584)年に滝川雄利が豊臣秀吉軍に伊勢国(三重県)松山城を包囲され,籠城中に食糧が尽きたとき,敵陣に赴いて懇願,秀吉の心を動かして囲みを解かせたという。 (真下道子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報