朝日日本歴史人物事典 「滝川雄利」の解説
滝川雄利
生年:天文12(1543)
安土桃山・江戸前期の武将。伊勢の木造具康の子で,はじめ出家して源浄(常)院主であったが,還俗して滝川一益の女婿となり滝川を名乗った。名は勝雅,雄親,雅利など。織田信雄に仕えたとき,諱の1字を与えられている。信雄の家老であったが,天正12(1584)年の小牧・長久手の戦を契機に豊臣秀吉に仕え,同18年の小田原攻めにも従軍。一時,豊臣秀次失脚事件に連座して所領を失うが,秀吉の御咄衆として3万石を与えられ,関ケ原の戦(1600)では西軍に属して除封され,のち家康の御咄衆として常陸片野(茨城県八郷町)で2万石を領した。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報