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滝川雄利 たきがわ かつとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

滝川雄利 たきがわ-かつとし

1543-1610 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)12年生まれ。木造具康(こづくり-ともやす)の子。滝川一益(かずます)の姓をうける。はじめ織田信長,織田信雄(のぶお)につかえ,のち豊臣秀吉にしたがい伊勢(いせ)(三重県)神戸(かんべ)城主となる。関ケ原の戦いで西軍につき所領を没収されたが,慶長8年ごろ常陸(ひたち)(茨城県)片野藩主滝川家初代となる。2万石。慶長15年2月26日死去。68歳。前名は勝雅。通称は三郎兵衛。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

滝川雄利

没年:慶長15.2.26(1610.3.21)
生年:天文12(1543)
安土桃山・江戸前期の武将。伊勢の木造具康の子で,はじめ出家して源浄(常)院主であったが,還俗して滝川一益の女婿となり滝川を名乗った。名は勝雅,雄親,雅利など。織田信雄に仕えたとき,諱の1字を与えられている。信雄の家老であったが,天正12(1584)年の小牧・長久手の戦を契機に豊臣秀吉に仕え,同18年の小田原攻めにも従軍。一時,豊臣秀次失脚事件に連座して所領を失うが,秀吉の御咄衆として3万石を与えられ,関ケ原の戦(1600)では西軍に属して除封され,のち家康の御咄衆として常陸片野(茨城県八郷町)で2万石を領した。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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