慶誠寺(読み)けいじようじ

日本歴史地名大系 「慶誠寺」の解説

慶誠寺
けいじようじ

[現在地名]旭川市豊岡五条四丁目

浄土真宗本願寺派。菊枝山と号する。本尊阿弥陀如来。明治二八年(一八九五)富山県婦負ねい西呉羽にしくれは(現富山市)の石田慶雲が現二条通にじようどおり一二丁目に説教所を設けた。同三〇年現一条通いちじようどおり六丁目にあった日通車輛工場付近に移って布教に尽し、現五条通ごじようどおり六丁目に許可を受けて二七坪の説教場を開設。同三二年寺院の創立出願、同三三年八月慶誠寺の寺号公称の許可を得た。同三七―三八年の日露戦役時には軍人娯楽室(間口六間・奥行四間)を建てて後援

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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