日本歴史地名大系 「成能村」の解説 成能村なるのむら 愛媛県:大洲市成能村[現在地名]大洲市成能天保郷帳には「成野村」と記載されている。大洲市の最東端、西流する肱(ひじ)川と南流する支流小田(おだ)川とに南東部を限られた標高一〇〇―三〇〇メートルの河岸段丘性の台地にある。村名は、慶長六年(一六〇一)大津藩主藤堂高虎が家臣渡辺勘兵衛に与えた「知行方之目録」(南部文書)に「一、参百拾五石四斗九升三合 喜多郡いか崎内成野村」とみえる。寛永三年(一六二六)の成野村相定免之事(黒田家文書)によると、田方高一八七石七斗三合、畑方高一八四石の毛付に対し、定米四五石五斗三升、定大豆七四石四斗、夫米四石二斗六升四合、夫大豆八石三斗五升六合、定胡麻一石二斗六升二合、ほかに口米が賦課されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by