戦時中の旭川市

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戦時中の旭川市

北海道旭川市には北の防衛を担った陸軍第7師団が置かれ、軍需関係産業も発展し「軍都」と称された。東京などが空襲被害を受けてからは、他府県からの疎開者も増えた。1945年7月15日には、米軍戦闘機グラマンの空襲があり、旭川市史によると、民間人ら2人が死亡したほか、パルプ工場が炎上。師団練兵場内に駐機していた爆撃機なども攻撃に遭った。45年7月14、15両日の米軍による北海道空襲では、道内各地で2900人以上が死亡した。

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