日本歴史地名大系 「戸倉新田」の解説 戸倉新田とくらしんでん 東京都:国分寺市戸倉新田[現在地名]国分寺市戸倉一―四丁目・東戸倉(ひがしとくら)一―二丁目・日吉町(ひよしちよう)二―三丁目・富士本(ふじもと)一―二丁目・東恋ヶ窪(ひがしこいがくぼ)六丁目・内藤(ないとう)二丁目恋ヶ窪村の西にあり、北は榎戸(えのきど)新田・南野中(みなみのなか)新田。武蔵野新田の一。戸倉村(現あきる野市)の郷左衛門が享保一三年(一七二八)に府中本(ふちゆうほん)町の開発地五町五反歩、府中番場(ふちゆうばんば)宿(ともに現府中市)の開発地三六町歩を購入し(「武蔵野柴地譲渡証文」戸倉家文書など)、翌年開発人に取立てられた。その後も郷左衛門は下谷保(しもやぼ)村(現国立市)や四ッ谷(よつや)村(現府中市)などから開発地を購入し、元文元年(一七三六)の検地では高一三三石余、皆畑の村となった(宝暦三年「村明細帳」同文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by