日本歴史地名大系 「戸渡呂瀬谷村」の解説 戸渡呂瀬谷村とどろがせだにむら 宮崎県:児湯郡西米良村戸渡呂瀬谷村[現在地名]西米良村村所(むらしよ)坂本谷(さかもとだに)村の北西、一ッ瀬川の流域谷間に位置し、北西は田無瀬谷(たむぜだに)村。戸渡呂瀬は轟瀬谷村とも記した(「日向地誌」など)。また田無瀬谷村やさらに西方の津留谷(つるだに)・村所谷(むらしよだに)・納瀬谷(のうぜだに)の各村を合せて村所村ともよんだ。元禄一〇年(一六九七)の肥後国絵図(永青文庫)に戸渡呂瀬谷とあるが、「人居斗」とのみ記され、高の記載はない。天保五年(一八三四)の米良山郷村高帳写(相良家文書)によると高二石余、うち小物成高一石余、延享三年(一七四六)高入れの焼畑雑穀高八斗余、天保二年高入れの焼畑雑穀高五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by