日本歴史地名大系 「戸苅村」の解説 戸苅村とがりむら 愛知県:一宮市戸苅村[現在地名]一宮市萩原(はぎわら)町戸刈(とがり)北東の美濃路萩原宿へ六町、東は滝(たき)村・高松(たかまつ)村に接する。村名は浄土宗西山派蓮入(れんにゆう)寺の銅磬子銘に「維時明応七午年十月十五日 中島郡戸苅村寿量山蓮法寺現住法山 寄附之」とみえる。天保村絵図では概高八九石余、うち田一町余・畑九町余と畑作を中心とする村で、全村一人の給知であった。「寛文覚書」の家数一四・人数七六。天保期(一八三〇―四四)には五一軒・二五一人(徇行記)とかなりの増加を示したのは、元禄六年(一六九三)西(にし)新田一八石三斗余、さらに古川(ふるかわ)新田一九石七斗余の新田を開いて生産高を増したせいであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報