農作物を畑に栽培することをいい,栽培されるものを畑作物という。世界の耕地は1994年で13億haをこえ,その9割で畑作が行われている。それぞれの土地の気象・土壌条件に適した各種の畑作物が栽培されているが,いずれの地域でも広い面積に比較的粗放に栽培されるのは,主食となる穀類,いも類,豆類などであり,野菜や果樹は限られた畑に集約的に栽培されることが多い。地域的にみると,南北両アメリカやオーストラリアの畑作は大規模に機械化されているのに対し,旧大陸の人口密度の高い地域では,人力に頼る小規模な畑作が多い。ただし発展途上国には,サトウキビやパイナップル栽培など,大面積で企業的に行われる畑作もある。日本では水田作が優先し,畑作の占める位置は相対的に低い。近年は輸入農産物に圧迫され畑作の低迷は著しい。
なお畑作が農業の主体を構成するヨーロッパや中国の華北地方での歴史については,〈農業〉の項を参照されたい。
執筆者:山崎 耕宇
日本における畑作の起源は明らかではないが,縄文中期以降,アワ,ヒエなどを焼畑によって栽培したとする説もある。《古事記》《日本書紀》の伝える農作物起源の神話では,麦,アワ,ヒエ,大豆,アズキなどがあり,畑作が行われていたことになるが,しかし律令制時代以降,国への正租は水田の生産物である米が中心で,水田稲作に対し,畑作は副次的な存在であった。
しかし,水田稲作が停滞的な社会関係の基礎の一つをなしていたのに対し,畑作は近世になると自給的畑作を抜け出し,商品貨幣経済の中へ農家を引き入れ,農村の商品貨幣経済化を促すこととなる。以下,日本史の観点から畑作の存在とその形態を見れば,畑作の第1段階の形態は,樹木雑草などを焼き払って,そのあとへ作物を作付けし,数年して耕作を放棄し耕地を移動する,いわゆる焼畑を最も粗放な畑作形態とするが,この焼畑は古くは都の周辺にも存在した。そして後には,山間部の農法となって,今でも山間のごく一部にその形を残している。
これに次いで,粗放な畑作の形態は,圃上(ほじよう)期間のきわめて短いソバ,大根などをほとんど無肥料で1作だけ作付けする山畑耕作で,まき付け肥のほかは肥料を用いないで,大豆,アズキを入れた輪作の形をとる雑穀畑作も,その後長く普通畑作の中心となっていったが,律令制時代の一般の畑作はおそらく住居の前の園地で行う自給用と調のための畑作であったであろう。
平安時代においては,後進地帯ではまだ畑の丈量は比較的少なく,事実上の畑地は在家という形で屋敷宅地と統一的にとらえられ,律令時代のなごりをとどめていた。しかし,先進的地域では田地と並んで畑地が丈量され,面積に応じて各種の畑地が雑公事(ぞうくじ)という形で収取されるようになっている。この段階においても,畑作物は多く自給的色彩の強いものである。そして《延喜式》に見られる内膳司の園(その)の耕作は古代貴族の畑作で,優秀な鉄製農具(犂(すき))と豊富な労働力とによって畜力耕耘(こううん)を行い,厩肥(きゆうひ)を施し,中耕,除草,培土,除虫などの肥培管理を行って大麦,豆類,蔬菜(そさい),香辛料を多く作っていた。
荘園時代に入ると,畑地も律令時代とは違って,賦課の対象として検注丈量されるようになってくる。この段階においても畑作としては農民の自給用の雑穀を作ったのであるが,京都周辺の荘園などにおいては,領主の消費にあてられる野菜類が積極的に作付けされるようになっている。
荘園制の解体から太閤検地の段階に進むと,畑地は平均11~13の斗代(とだい)によって領主に年貢をとられるようになり,麦,大豆,アズキも畑年貢として取られるようになるが,畑年貢も米で取ることがあるほどで,畑作が水田作に対して副次的地位にあったことは変わりない。
しかし,江戸時代中期になると,領主や町人の需要をみたすため,販売用作物(商品作物)を作付けする畑作が始まり,三都や城下町を中心とする都市周辺での蔬菜をはじめとして,大坂周辺のワタや菜種,阿波の藍,出羽(最上)の紅花など,各地に衣類原料,染色原料,灯火原料,嗜好(しこう)品原料,敷物原料,製紙原料のような加工原料の特産物を販売作物=商品作物として作付けする商業的農業の畑作が発達し,それが農民の地位向上,農業発展の契機となった。
蔬菜,菜種,カンショ,タバコ,ワタ,麻,藍,紅花,茶,桑,コウゾ,果樹などの畑作がその中心で,この場合には干鰯(ほしか),油かすなどの購入肥料(金肥(きんぴ))を多量に使用しながら追肥,中耕,除草を入念に行い,虫害除去,つるくばり,わき芽かき,苗育てなどの周密な管理経営が発達し,畑作の性格は飛躍的に変化し,農民的な技術発展や農民的加工業の発展も,このような畑作のうえにみられた。
明治以後は旧来の販売作物たるワタ,麻,藍,紅花などの減少を補って桑,茶,蔬菜,花卉(かき),果樹を中心にした発展が著しく,それによって農村を流通経済に引き入れたのである。しかし,地主的土地所有と稲作から受ける技術的制限と耕地条件の悪さに制約されて,本格的な資本家的発展は農地改革後の高度経済成長まではみられなかったのである。
→畑
執筆者:三橋 時雄
畑作農業には,(1)特定の耕地を占有して肥料を与え連作する方法の常畑(じようばた)と,(2)特定の期間を畑として利用し,あとは(a)樹木を植えて休閑する切替畑(きりかえばた),(b)草木のはえるままに放置しておく焼畑とがある。(1)の常畑と(2)の(a)の切替畑が丘陵や平坦部に展開してきたのに対し,(2)の(b)の焼畑が里山や奥山の一部などの山地を中心に展開してきたことは大きな違いであるが,ともに水田稲作農業が不適だとされる地方に行われてきた点が共通している。(2)の切替畑は山林なり原野から畑にするとき,火を入れて焼くこともあるので,焼畑と区別しがたい点もあるが,近世には切替畑は検地の対象となったのに対して,焼畑は対象にならなかった。技術的発展段階からみれば,粗放な形の焼畑から切替畑へ,さらにより安定した常畑へと移行したと考えられるが,これはその延長線上に稲作水田を置くからであって,畑作農業独自の体系を考慮する必要がある。
日本では,律令国家の土地制度である班田収授法をはじめとして,水田稲作を基礎においた強力な政治体制がつくりあげられてきたため,農業は水田稲作を中心に発展してきた印象を強くしている。しかし生産者である農民の側からみれば,生産した稲の多くは租税として上納し,農民が自由にできる稲は少なかった。そのために農民は畑作に依存した自給自足をはかってきたのであるが,水田稲作が不適地の農民は畑作を軸とした生活体系を維持しながら,水田稲作を受容することに努めてきた。そこで水田稲作農業の発展は畑作農業に負っていた面もあることを評価する必要があり,両者の文化の比較が要請されてくるのである。例えば,平地の水田稲作地帯では正月に餅をついて神仏に供えたり人々も儀礼食として重視するのに,山地などの畑作地帯では餅以外の里芋やソバなどの根茎作物や雑穀が供物や儀礼食物として重視され,正月に餅を禁忌とする(餅なし正月)ところがあるのは,栽培する作物による文化的次元の価値体系が異なることを示している。また,水田稲作地において最も重視されるのは〈稲の種子〉であり,それを祭祀することにより豊作が保障されるものとして,多彩な儀礼がみられるのが特色であるのに対して,畑作地帯においては種子の神聖視は認められず,山を占有するとされる山の神と〈土壌の豊穣(ほうじよう)性〉を重視する観念が認められる。そして,水田稲作が一定の土地を占有して,そこに稲という単一の作物を毎年栽培し続けることから,1年という時間単位が強調され生活基準になっているのに対して,畑作にあっては切替畑も焼畑も,大地を数年間を限って借用し,稲以外の穀類や野菜を栽培するなど,複数の作物の同時栽培と数年の土地借用という形をとり,時間単位を1年に固定しない点に独自性を認めることができる。このように畑作を独自の文化体系とみる研究は,まだ出発点に立ったばかりであるが,水田稲作を軸とした文化を相対化する意味において,日本文化の研究は,新しい視野を開く可能性が出てきた。
→稲作文化
執筆者:坪井 洋文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…また肥料の多用も顕著な特徴で,こうして多肥多労の集約農業として展開し,土地生産性(単位面積当り収量)が高く,またそれを追求することが主要な方向とされてきた。(3)耕地の約半分を占める畑地で,多種多様な畑作物の生産がなされてきたことである。第2次大戦以前に中心的な地位を占めていた養蚕(桑栽培=繭生産)をはじめとして,各種の普通畑作物(食用および工業原料用),野菜,果樹などが多様かつ豊富に栽培され,生産されてきた。…
…田では年貢のための米を作る。収穫した米の大部分が年貢米として取り上げられる事情のもとでは,百姓の自給自足的な日常生活は,主として畑作で支えられている。畑では雑穀(麦,アワ,ヒエ,ソバ,大豆など)を作って食料にする。…
… 長い日本の歴史をとおして,水田稲作農耕文化の強い刺激を受けながらも,山棲み独自の文化が維持されてきたのは,何よりも山という自然と人間との相互作用に基づく生産形態の相違によるものであった。その一つは焼畑や常畑に代表される畑作農耕である。根菜類や穀類を主とする畑作農耕は,水田稲作とはその生産技術に差があり,また生産される作物の認識体系や利用法も異なっている。…
※「畑作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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