20世紀日本人名事典 「手塚太郎」の解説 手塚 太郎テヅカ タロウ 明治・大正期の司法官 長崎控訴院長;日本生命済生会理事長。 生年文久2年1月(1862年) 没年昭和7(1932)年11月19日 出身地江戸 学歴〔年〕司法省法学校卒 経歴医師・手塚良仙の長男に生まれる。仙台地裁所長を経て、大阪地裁検事正となる。のち名古屋控訴院検事長、長崎控訴院院長などを歴任。日本生命済生会理事長も務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「手塚太郎」の解説 手塚太郎 てづか-たろう 1862-1932 明治-大正時代の司法官。文久2年1月生まれ。手塚良仙の長男。仙台地方裁判所長をへて大阪地方裁判所検事正。のち名古屋控訴院検事長,長崎控訴院長などをつとめた。昭和7年11月19日死去。71歳。江戸出身。司法省法学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by