押平村(読み)おしならむら

日本歴史地名大系 「押平村」の解説

押平村
おしならむら

[現在地名]名和町押平

大塚おおつか村の南、阿弥陀あみだ川右岸の台地上に位置する。拝領高四四一石余、本免三ツ七歩。給人所付帳によると米子荒尾分家の荒尾氏の給地があった。藪役銀一五匁が課せられていた(藩史)。宝永七年(一七一〇)の汗入郡郷庄人家等改(名和町誌)によれば家数三五、男一一四・女一二二、牛一五・馬一〇。幕末の六郡郷村生高竈付では生高四八〇石余、竈数四七。文化一二年(一八一五)三蔵谷みくらだに堤の立樋が破損したため、藩は役人を派遣している(在方諸事控)。明治一〇年(一八七七)茶畑原ちやばたはら村を合併。産土神はアリセに鎮座する押平大明神。貞享元年(一六八四)の棟札に「奉建立押平大明神因伯御城主光仲公」とあり、同社は押平村だけでなく西にし庄六ヵ村の総氏神であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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