日本歴史地名大系 「押撫村」の解説 押撫村おしなでむら 岡山県:笠岡市押撫村[現在地名]笠岡市押撫有田(ありだ)村の北、台地上に位置し、北は篠坂(しのさか)村。元和五年(一六一九)より備後福山藩領となり、元禄一二年(一六九九)以降は幕府領で幕末に至ったと考えられる。寛永備中国絵図では高一三五石余。正保郷帳には草山少と注記があり、高一一三石余、枝村として西村と向井村が載る。貞享五年(一六八八)の宗門改帳によれば家数一八(うち神主一)、人数一六二(五歳以上)で、うち一五四人が篠坂村真言宗星蔵(せいぞう)坊を檀那寺とした(水野記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by