敷山城(読み)しきやまじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「敷山城」の意味・わかりやすい解説

敷山城
しきやまじょう

南北朝期の城。山口県防府(ほうふ)市牟礼(むれ)敷山にあり、南北朝期に特有の山城(やまじろ)で、防府平野の北東端にそびえる矢筈ヶ岳(やはずがたけ)(標高460メートル)の南面八合目に位置していた。1336年(延元1・建武3)南朝方に属した周防国府(すおうこくふ)の目代(もくだい)摂津助公清尊(せっつじょこうせいそん)、小目代助法眼教乗(じょほうがんきょうじょう)が足利尊氏(あしかがたかうじ)に敵対して拠(よ)った所で、城は石見(いわみ)・長門(ながと)からの大軍勢に攻められ落城した。験観寺(げんかんじ)という寺院城郭構えにしたもので、削平地、石垣が残る。

[小和田哲男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android