文祿慶長役(読み)ぶんろくけいちょうのえき

精選版 日本国語大辞典 「文祿慶長役」の意味・読み・例文・類語

ぶんろくけいちょう‐の‐えき‥ケイチャウ‥【文祿慶長役】

  1. 文祿元年(一五九二)から慶長三年(一五九八)にかけての、二度にわたる豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争。文祿元年、大陸進出をはかる秀吉は、征明のための道案内を朝鮮王に命じ、回答が得られなかったことを理由に出兵。加藤清正らを派遣して漢城(現在のソウル)をおとしいれ、さらに北上して、碧蹄館の戦で明軍を破り、和議を約したが、講和の条件が秀吉の要求を全く無視したものであったため、慶長二年再び出兵。しかし戦局は進展せず、翌三年、秀吉の死により中止された。この戦いの結果、印刷・陶業の新技術、多くの典籍がもたらされたが、豊臣氏滅亡を早めもした。朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱という。

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