文蔵村(読み)ぶぞうむら

日本歴史地名大系 「文蔵村」の解説

文蔵村
ぶぞうむら

[現在地名]浦和市文蔵一―五丁目・南浦和みなみうらわ四丁目・神明しんめい一丁目

大谷場おおやば村の南に位置し、東は小谷場こやば(現川口市)、南は蕨宿。天正一三年(一五八五)七月一〇日の太田氏房印判状写(武州文書)によると岩付いわつき(現岩槻市)城主太田氏房は「文蔵二階堂百姓中」に祝言のために徒歩夫一人を江戸城に差出すよう命じている。二階堂氏は小田原北条氏家臣とされ、二階堂資朝は岩付城落城後、旧領文蔵村に落着き、のち駒場こまば村に移ったという(風土記稿)。村名の由来は明らかでないが、延宝六年(一六七八)加賀金沢藩から文庫や古書籍にかかわる村名との想定で調査にきており、近隣村まで調査したがついに明らかにされなかった(「武州文蔵村書籍捜索方」松雲公採集遺編類纂)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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